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『鳴らさない鐘は鳴らない』
Vol.1 岡山からハリウッドへ

 
2008/01/07

小山田真
1982年3月10日、岡山県生まれ。幼い頃からブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れ、ハリウッドでアクションスターになる事を夢見る。高校卒業後、00年に周囲の反対を押し切って単身渡米。演技経験も英語力もゼロからスタートした。03年製作の『ラスト サムライ』で、渡辺謙演じる「勝元」の息子「信忠」役に抜擢され、これを好演して評価を受けたのちに、次々とハリウッド作品に出演する。06年春には自らの製作会社を立ち上げ、プロデュースにも携わる。07年11月には初プロデュース映画“Good Soil”が公開された。

 皆さんはじめまして、ハリウッドから小山田真です。
今回から毎週、僕がハリウッドで体験したことや思ったことを皆さんにお届けしていくことになりました。どうぞよろしくお願いします。

 初めのうちは自己紹介も兼ねて、僕がどのようにハリウッドで活動するようになったのか、振り返っていきたいと思います。

先生に叱られた将来の夢

渡米して間もない、2001年当時の小山田真
渡米して間もない、2001年当時の小山田真
 小さい頃から父親の影響で、ブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れていた僕が、ハリウッドに行ってアクションスターになりたいとはっきり心に決めたのは中学校に入った頃でした。中3の三者面談の時に、ハリウッドに行って映画俳優になるんだと言って、当時の担任の先生に叱られたのを今でもはっきり覚えています。「お前、英語も赤点のくせに何言ってるんだ」って。
 隣りに座っていた母もとても恥ずかしそうにして先生に謝っていましたが、僕はその時、絶対にアメリカで俳優として活躍して先生を驚かしてやる、と思っていました。

 かなり後の話ですけど、『ラスト サムライ』が日本で公開されて、2005年に岡山に帰った時にその時の担任の先生に会ったんです。先生は転勤してたんですけどね、何とか会えて、僕は母校の全校生徒の前でスピーチしました。もちろんそのスピーチでは、三者面談で先生に叱られたことは話してないですけど。

 中学を卒業したあと、家の一番近くにあった県立高校へ入ることができました。その高校は進学校で、僕は中学校での成績はかなり悪いほうだったので受験勉強ではそうとう苦労しましたが、奇跡的に合格しました。その高校へ行きたかった理由というのも、将来アクション俳優としてやっていくために役立ちそうな器械体操部があったからです。

すべてはハリウッドスターになる為に

 嬉しかったのもつかの間、入学式早々、その器械体操部には部員もあまりいなくて、器具もなく、女子の新体操部の一部になってしまっていることを知りました。部費もなく、潰れかかっていて、この部には入るなと当時のキャプテンから直接言われてかなりショックを受けました。

 でもその時、僕はその先輩に、僕がこの器械体操部を作り上げて、キャプテンとしてついでいきます、と言ったのを覚えています。
 こんなところでハリウッドスターになる計画を邪魔されるわけにはいきません。なんとかしなきゃと必死で、器具は他の学校に行って借してもらい、朝、昼休み、放課後、そして週末も練習に明け暮れました。そのかいあって、キャプテンとして初めての市大会を勝ち上がり、岡山県大会に出場して上位に入ることができました。

 この頃すでに、毎日のようにアメリカに行くための細かい計画を立てていました。滞在するために必要なビザの勉強もしました。たいせつな将来の目標への準備でした。

岡山からハリウッドへ

 高校卒業後、親や周囲の反対を押し切って、小さい時からの夢を叶えるために未知の国アメリカへ、何の当てもなく一人で渡ったのが2000年の夏頃でした。
 不安というより希望に溢れていて、これからどんなことが待ち受けているかはまったく想像もしていなくて。出発当日の関西空港で、見送りに来た親がすごく心配そうにしているのもおかまいなしに、これからアメリカに行くんだと思うと気持ちがはしゃいで、あまりにも嬉しかったので搭乗ゲートまで走っていったことを覚えています。

 さて来週はいよいよ夢の地、アメリカに到着です。

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