
小山田真
1982年3月10日、岡山県生まれ。幼い頃からブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れ、ハリウッドでアクションスターになる事を夢見る。高校卒業後、00年に周囲の反対を押し切って単身渡米。演技経験も英語力もゼロからスタートした。03年製作の『ラスト サムライ』で、渡辺謙演じる「勝元」の息子「信忠」役に抜擢され、これを好演して評価を受けたのちに、次々とハリウッド作品に出演する。06年春には自らの製作会社を立ち上げ、プロデュースにも携わる。07年11月には初プロデュース映画“Good Soil”が公開された。
1982年3月10日、岡山県生まれ。幼い頃からブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れ、ハリウッドでアクションスターになる事を夢見る。高校卒業後、00年に周囲の反対を押し切って単身渡米。演技経験も英語力もゼロからスタートした。03年製作の『ラスト サムライ』で、渡辺謙演じる「勝元」の息子「信忠」役に抜擢され、これを好演して評価を受けたのちに、次々とハリウッド作品に出演する。06年春には自らの製作会社を立ち上げ、プロデュースにも携わる。07年11月には初プロデュース映画“Good Soil”が公開された。
ハリウッドから小山田真です。
第2回です。まだちょっと硬いでしょうか。少しずつ慣れていきますので
よろしくお願いします。前回はアメリカへ出発するところまで話しました。
第2回です。まだちょっと硬いでしょうか。少しずつ慣れていきますので
よろしくお願いします。前回はアメリカへ出発するところまで話しました。
あてもなくハリウッドを歩き始める

サンタモニカのビーチにて
2000年夏、ついに夢にまで見たアメリカ、ロサンゼルスにやってきました!
友達、知り合いもまったくいない、住むところもなく、言葉も全然通じないまま、とりあえずハリウッドのユニオン・ステーションにスーツケースとバッグを2つ抱えて到着しました。
まず寝床がなかったので、ハリウッドの街中をあてもなく歩き始めたら、まわりからはホームレスと思われたのか、じろじろと変な目で見られていたのをよく覚えています。でもやっとハリウッドに来られたことがあまりにも嬉しくて、そんなことはあまり気にしませんでした。
初めてのアメリカで、しかも高校を卒業したばかりの僕ですから、アパートをどう探せばいいのかまったくわからないし、一軒ずつ手当たり次第に入ったアパートでは、まず英語が通じなかったのですべて断られました。今から考えれば当然ですよね。
友達、知り合いもまったくいない、住むところもなく、言葉も全然通じないまま、とりあえずハリウッドのユニオン・ステーションにスーツケースとバッグを2つ抱えて到着しました。
まず寝床がなかったので、ハリウッドの街中をあてもなく歩き始めたら、まわりからはホームレスと思われたのか、じろじろと変な目で見られていたのをよく覚えています。でもやっとハリウッドに来られたことがあまりにも嬉しくて、そんなことはあまり気にしませんでした。
初めてのアメリカで、しかも高校を卒業したばかりの僕ですから、アパートをどう探せばいいのかまったくわからないし、一軒ずつ手当たり次第に入ったアパートでは、まず英語が通じなかったのですべて断られました。今から考えれば当然ですよね。
ハリウッドサインが見える部屋で
そのうち、たまたま泊まっていたモーテルの近くにあったアパートのマネージャーさんに、電気も家具もない、水道も通っていない空き部屋がひとつあると聞いて、そこに数日宿泊させてもらいました。
もちろんベッドなんて豪華な物はなかったので、暗闇のなか、夜はバッグを枕がわりに床で寝ていました。
ラッキーなことに、他の部屋が空いてそっちに移ることができました。その部屋のベランダからは、有名なハリウッドサインが見えました。
食事は、そのアパートのメキシコ人マネージャーさんの家族に分けてもらっていました。そこのマネージャーは、英語がろくに話せずスペイン語だけができたので、コミュニケーションをとるのが大変だったけど。
一人暮らしはアメリカに来るまでしたことがなく、洗濯はどうしたらいいのかすら、ランドリーは英語で書かれているからわからない。料理もろくにできなかったので、自己流でチャーハンやパスタ、味噌汁などいろいろ試しました。とりあえず自分のお腹を満たすことはできたけど、到底人に食べさせるようなシロモノではありませんでしたね。
ほんの小さなことから、車の免許証をとるまで、すべて英語で理解し、やりこなさなければいけなかったので生活に慣れるまでは本当に苦労しました。
そしてその後、アパートの近くにあったロサンゼルス・シティー・カレッジに入学することが決定して、アメリカでの学生生活が始まるんですが・・・。このつづきはまた来週です。
もちろんベッドなんて豪華な物はなかったので、暗闇のなか、夜はバッグを枕がわりに床で寝ていました。
ラッキーなことに、他の部屋が空いてそっちに移ることができました。その部屋のベランダからは、有名なハリウッドサインが見えました。
食事は、そのアパートのメキシコ人マネージャーさんの家族に分けてもらっていました。そこのマネージャーは、英語がろくに話せずスペイン語だけができたので、コミュニケーションをとるのが大変だったけど。
一人暮らしはアメリカに来るまでしたことがなく、洗濯はどうしたらいいのかすら、ランドリーは英語で書かれているからわからない。料理もろくにできなかったので、自己流でチャーハンやパスタ、味噌汁などいろいろ試しました。とりあえず自分のお腹を満たすことはできたけど、到底人に食べさせるようなシロモノではありませんでしたね。
ほんの小さなことから、車の免許証をとるまで、すべて英語で理解し、やりこなさなければいけなかったので生活に慣れるまでは本当に苦労しました。
そしてその後、アパートの近くにあったロサンゼルス・シティー・カレッジに入学することが決定して、アメリカでの学生生活が始まるんですが・・・。このつづきはまた来週です。






















