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『鳴らさない鐘は鳴らない』
Vol. 9 運命を変えた『ラスト サムライ』~クランクアップ

 
2008/03/06

小山田真
1982年3月10日、岡山県生まれ。幼い頃からブルース・リーやジャッキー・チェンに憧れ、ハリウッドでアクションスターになる事を夢見る。高校卒業後、00年に周囲の反対を押し切って単身渡米。演技経験も英語力もゼロからスタートした。03年製作の『ラスト サムライ』で、渡辺謙演じる「勝元」の息子「信忠」役に抜擢され、これを好演して評価を受けたのちに、次々とハリウッド作品に出演する。06年春には自らの製作会社を立ち上げ、プロデュースにも携わる。07年11月には初プロデュース映画“Good Soil”が公開された。

 ハリウッドから小山田真です。

 ロサンゼルスはあまり雨が降りませんが、この1月と2月は例年よりも雨の日が多く、先日のオスカー授賞式前などは1週間も雨模様がつづきました。でもアカデミー賞が終わった翌日から、それまでがウソのように晴れて暖かくなったんです。
 日本だと、「ひと雨ごとに季節が近づく」のを感じますが、こちらではこの日から急に春になりました。

 日本も僕がこの前帰ったときよりは暖かくなっているでしょうね。なにしろ東京は雪でしたから。

最も苦労した流鏑馬シーンの撮影

 さて、『ラスト サムライ』の撮影話も佳境に入ってきました。

 撮影が始まって4ヶ月後、ニュージーランドの撮影では乗馬がうまくできるようになり、馬に乗って流鏑馬(やぶさめ:疾走する馬上から的に矢を射る、日本の伝統的な技術)の稽古が始まりました。それから毎日稽古をつづけた数カ月後、指導の藤井先生と比べればまだまだ経験不足なのですが、それなりに流鏑馬らしい形になってきました。

 撮影当日、現場ではかなり馬も(!)緊張していて心配だったのですが、藤井先生を含めたスタッフの方達の協力によって、無事に僕の流鏑馬シーンの撮影は終了しました。皆さん、もう一度『ラスト サムライ』を見る機会があれば、是非このシーンに注目していただければと思います。僕が初めてのハリウッド映画で、いちばん苦労した撮影でした。

「人間らしさ」にこだわった役づくり

 この作品では流鏑馬シーンのようなフィジカル面のチャレンジに加えて、演技の部分でもこだわって役づくりに挑みました。
 この映画のお話がある前に、僕はアメリカ人の友達と日本の文化や伝統、侍に関して話をしていて感じていたことがあったんです。

 彼等が思い描く侍は、全体的にとても残酷なイメージのキャラクターなんですね。

 だからこそ僕は信忠を、人間らしい素直さを持ち、喜怒哀楽をストレートに表現できる人柄にしたかった。死と直面することのある“侍”という立場であるからこそ、いまこの時間を屈託なく明るく生きる、僕の信忠像はそんな性格の若い侍でした。
 結果として、素直に僕が思い描く信忠を演じることができたと思います。

 役作りのために、幕末の侍の本を読んだり、侍について詳しい方達の話を聞いたりインターネットで調べたりもしました。
 また、僕の本籍地である鹿児島にいる祖父に、当時薩摩の侍の一人であった僕の先祖の話をいろいろ聞いたりして独自の勉強もしました。

大きな“転機”となったハリウッドデビュー作

 『ラスト サムライ』の撮影で、いろいろな映画関係の人達と交流する機会があり、俳優としてだけではなく、様々な面で映画製作に付いても勉強になりました。

 撮影が終わりを迎えた頃には、出演者、スタッフみんなを本当にいろいろな国からの家族のように感じていました。

 撮影中は無我夢中でしたが、この作品が公開されてアメリカ、日本双方のたくさんの人が僕の活動を知ってくれて、その影響力にあらためて驚きました。ファンと言ってくれる人もできました。
 この映画を機に、僕のハリウッドでの俳優生活はスピードを上げて回り出したようでした。

 それではまた来週です!

かわいい僕の空手ファンの子供たちと
かわいい僕の空手ファンの子供たちと

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