
ピーター・バート
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
先週亡くなったポール・ニューマンは、とても真面目な男だったが、同時に遊び心を持っているところがあった。彼と一緒にドライブしたことを思い出す。車はフォルクスワーゲンのビートルだったが、パワフルなポルシェのエンジンが積まれていた。405フリーウェイ(注:ロサンゼルス郡を南北に走るフリーウェイ)の上り坂でカッコいいスポーツカーの横に自分の車を付け、ぶっ飛ばして差をつける。あのスポーツカーはきっと、なぜビートルに “してやられた”んだろうと不思議に思ったことだろう。
一方で、ヴェトナム戦争やニクソン政権に刺激され、ニューマンと妻のジョアン・ウッドワードは自分たちの政治的立ち位置を示すために、影響力を利用することにした。これが、結果的に我々を対立に追い込むことになるのだが。
ニューマンはパラマウントに政治ドラマ “WUSA” (1970年作品、日本未公開)を製作するように要求した。私はこの企画が大嫌いだったのだ。パラマウントはそれまでにもメッセージ性の強い作品を公開していて、ことごとく失敗していた。例えば大げさな小説を映画化した『男の闘い』という炭鉱夫を描いた作品などだ(主演はショーン・コネリーとリチャード・ハリスだった)。パラマウントの製作部門の副社長だった私は、高予算の政治映画などはスタジオを倒産に追い込みかねない、と強く感じていた。当時、会社はすでに危うかったのだ。
ポールとジョアンにはそのことがよくわかってもらえなかった。彼らは“WUSA”はメディア企業の崩壊を伝える重要なメッセージが込められていると考え、私が同意しないことに憤慨した。2人はボブ・エヴァンスに訴えたが、彼も私と同意見だった。そこで今度はニューヨークにいるパラマウントの企業トップに持ちかけた。彼らは2人の情熱的説得に屈し、企画を進行させた。
一方で、ヴェトナム戦争やニクソン政権に刺激され、ニューマンと妻のジョアン・ウッドワードは自分たちの政治的立ち位置を示すために、影響力を利用することにした。これが、結果的に我々を対立に追い込むことになるのだが。
ニューマンはパラマウントに政治ドラマ “WUSA” (1970年作品、日本未公開)を製作するように要求した。私はこの企画が大嫌いだったのだ。パラマウントはそれまでにもメッセージ性の強い作品を公開していて、ことごとく失敗していた。例えば大げさな小説を映画化した『男の闘い』という炭鉱夫を描いた作品などだ(主演はショーン・コネリーとリチャード・ハリスだった)。パラマウントの製作部門の副社長だった私は、高予算の政治映画などはスタジオを倒産に追い込みかねない、と強く感じていた。当時、会社はすでに危うかったのだ。
ポールとジョアンにはそのことがよくわかってもらえなかった。彼らは“WUSA”はメディア企業の崩壊を伝える重要なメッセージが込められていると考え、私が同意しないことに憤慨した。2人はボブ・エヴァンスに訴えたが、彼も私と同意見だった。そこで今度はニューヨークにいるパラマウントの企業トップに持ちかけた。彼らは2人の情熱的説得に屈し、企画を進行させた。
真実を押し出すために権力は使うべきだ。
それをやらないなんて金と権力は何のためにあるんだ?——P・ニューマン

愛妻ジョアン・ウッドワードと
「君の考えてることがわからないよ」とニューマンは、撮影が始まったある日、私に言った。「頭が良くて権力もある人はなかなかいない。君は真実を押し出すために権力を使うべきだ。それをやらないなんて、金と権力は何のためにあるというんだ?」。彼は、復讐しようとか不機嫌になっているとか、そういう感じではなかった。顔はいつものように皮肉っぽく笑っていたし、あの素晴らしい青い目は、真っ直ぐにこちらを見ていた。
“WUSA”は大失敗に終わった。でも私は、自分の予測が当たったことで満足してはいない。ニューマンが信念を貫いたことを心から称賛している。
それに、彼自身がツケを払う形になった。70年代には彼の最盛期は終わり、まだ大スターではあったが、映画の興行は伸びなかった。
彼は最期まで自分の信念を堅く守った。自分が信じている慈善事業には必ず協力を惜しまなかった。そして、いつも左翼であった。
そして今後も、ハリウッドにとって完璧なリーダーである。
“WUSA”は大失敗に終わった。でも私は、自分の予測が当たったことで満足してはいない。ニューマンが信念を貫いたことを心から称賛している。
それに、彼自身がツケを払う形になった。70年代には彼の最盛期は終わり、まだ大スターではあったが、映画の興行は伸びなかった。
彼は最期まで自分の信念を堅く守った。自分が信じている慈善事業には必ず協力を惜しまなかった。そして、いつも左翼であった。
そして今後も、ハリウッドにとって完璧なリーダーである。
























