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『ピーター・バート、かく語りき』
ブロガーのヒットと書状の世界

 
2007/09/21

ピーター・バート
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。

 私の知人たちはほとんど皆ブログを持っている。こそこそやっている者もあれば、きわめて得意気な者もいる。しかし、皆に共通しているのは、彼らはブログを「所有」しているのではなく、ブログに「所有」されているということだ。

 実際、ブログによって彼らの人生が変わった。

 朝のコーヒーはさておき、毎朝起きて一番にやることは、ブログに厳しい反応が届いていないかドキドキしながら確認することだ。そして、どんどんパニックに陥る。興味を引くには何を仕組んだらいいんだろう? なぜ昨日はアクセスが少なかったんだろう? もっとヒット数が上がってもいいはずなのに。

 一日がスタートする前に、彼らはブログ界のパラドクスに揺り動かされる。もちろん、言いたいことは何を言ってもいい。バカな編集者に邪魔をされることもない。その一方で、誰の興味も引かなかったらどうする?

 おそらく、だから私の友人のブロガーたちは、ブログを始める以前よりうなされ、神経過敏になっているのだろう。変わった自意識の解放の仕方を自分自身に与え、その代わり、テレビ番組の編成委員たちのように、いつも視聴率ばかり気にしている。

 このように、ブログ界という新しい言葉はアクセスのことばかりで、アイデアのことではない。ブロガーたちは「タグ付け」や「リンク餌」に執着している。ホットなアイテムもリンクされていなければ無用の長物だ。ハッカーたちは皆、自己破壊している若いセレブの情報をブログにすることができる。ただし、文の書き始めは、下着をつけずにリムジンから降りるリンジー・ローハンのことに限られる。

 私の知人のブロガーたちは注目に飢えているので、注意欠陥症に悩まされている。彼らのブログは麻薬となる。ハイの時は至福の頂点。そしてその頂点はローを誘発する。

 古いタイプのコラム二ストは(ゴシップのコラム二ストでさえ)思慮深くなる余地がある。編集者を喜ばせさえすればいいのだ。モーリーン・ダウド(ニューヨーク・タイムス紙のコラム二スト)なら「独特の閲覧者」のことを心配しなくてもいいだろう。ヘッダ・ホッパー(ゴシップ・コラムニスト)が絶好調の時でも、読者のことより身の回りの物のことを考えていたのではないか。

 ブロガーたちは思慮深くなるのではなく、反応的にならなければならない。もしニュースがあったら、ただちに出さなくてはならない。その過程は瞬間的であり、同時に個人的でもある。ブロガーたちは自分の4歳の息子が嘔吐していたので書き込みが出来なかったということを喜んで書く。ショーン・ペンによる名言は、彼がインタビュアーの顔にたばこの煙を直接吹きかけたことで、間違った風に引用されるかも知れない。

 確かに、歪曲や偏見は問題ではない。重要なことは、すべてが書かれてしまう、ということだ。匿名に近い筆者が発する声が、情報をエーテルに流し込む。すべて、注目されることへの熱望だ。

 これらはすべて公衆の啓蒙に役立つのか? 初期のインターネット時代の託宜は、ウェブは我々を自由にする、というものだった。これらの広大な多国籍メディア企業は、もはやニュースや情報を羽交い絞めにしている。我々は、ニュース・コープやタイム・ワーナーといった大手メディアの声だけでなく、一般の人々の声にもアクセスできるのだ。

 言いたいことがある人々は、自分たちの力に取り付かれていると同時に、怯えている。偏在を追求していくと、次第に競争は激化していく。しかし、あくまでも自己言及だ。

 ブログ界は、その他の事においても、究極の皮肉を突きつける。彼らは皆、自宅のコンピューターの前に座っているのに、彼らが一番気にしていることは何だ? アクセスだ。
 ところで、私はブログを持っていない。自分の知る限りでは、ね。

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