
ピーター・バート
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
映画スタジオは、複雑なメッセージを送るのを楽しんでいるようだ。
毎年、(賞レースを勝ち抜くための)試聴用DVDの配送の弊害が問題になっている。しかし、スタジオはさらなる量のDVDを送り続ける。あの不快なDVDが海賊版に貢献していることや、彼らの作品の芸術的クオリティを十分に表現出来ないものだとわかっていながら、なぜこれまで以上の量を氾濫させるのだ(私自身、およそ100枚受け取った)? そして、敢えて映画の公開前にDVDを送るのはいったいどういうことなのだ?
DVDの初めに添えられている法的警告文は、より長くなっている(そして数カ国語で書かれてもいる)。弁護士たちは、この恐ろしい警告を皆が読むとでも思っているかのようだ。アカデミーは少なくとも、海賊版の問題を解決するためにという目的で、2年前のように投票者たちにあの不恰好なビデオテープを発送するのは止めたようだ。
いずれにしろ、私はこつこつとこのDVDを観た。そして今、映画の長所と短所を証言することが出来る。良い点は、ある作品を自宅でもう一度見ることで、見逃してしまった演技や音楽の良さを確認できるということだ。
一方で、劇場でのプレミア上映といった緊張感のある場所ではなく、ソファに座ってじっと観ることによって、前回はやり過ごしていた疑問が浮かんだりする。それは、平凡な論理的問題などである。例えば以下のようなものだ。
●『アイ・アム・レジェンド』では、なぜウィルスに犯されたマンハッタンに、ウィル・スミス一人が取り残されてしまったのだ? 可哀想なウィルが、犬以外とも交流できるように、4、5人の小さなグループを作れなかったのか?
●“I’m Not There”の、あの手当たり次第のボブ・ディランの中で、本物は一体誰だったんだ?
●ロサンゼルス・タイムス紙は、“Into the Wild”の主役は、「彼が消費的生活に順応することをやめた時の、有頂天さと理想郷」の両方だと説明していたが、エミール・ハーシュを忘却の彼方へ駆り立てた真の理由はなんだったのだ?
●フィリップ・シーモア・ホフマンが『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のためにあれほど体重を増やさなければならなかったのは、彼の役どころがCIAというより、実は農務省の「覆面役人」だったからなのか?
●妊婦である16歳のジュノは、本当にいつもあんなに気の利いた話し方ばかりするのか? 彼女は常に、「べっ甲の眼鏡をかけてゴス調のメイクをしてチェロを演奏するような不気味な女の子をナンパして…」とか、「中国ではiPodみたいにタダで子供を配ってるらしいよ」といった台詞ばかり言っている。
私はあの映画が好きだったが、ジュノの話し方は私にしてみれば、30歳の元ストリッパーが脚本家として名声を挙げようとしているように思える。
●『ノーカントリー』は、なぜストーリーが解決せずに、繰り返しのまま終わるのだ。コーエン兄弟は映画ではなく舞台をやることに決めたのか? または、どこに俳優を落ち着かせるかで意見が分かれたのか? ところで、私はこの映画もとても好きだったのだが。
こういった疑問は出てきたものの、スタジオがついに考えを変えて、DVDを送ってくれることにとても感謝している。普段なら見逃してしまう映画も、たくさん観ることが出来た。——ところで、この事実がまた新しい疑問を浮かばせた:
今年「深刻な」映画を作った人たちは、日の当たらない場所に居る。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』の血は、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のオイルのように噴出していたし、今年の戦争映画のからの収穫は『ホステル2』のような「拷問的ポルノ」のジャンルに入れることが出来る場面もあった。ある意味、彼らの怒りも理解できる。でも、こういった映画の製作者たちは、婉曲した時間か歪曲的エゴに閉じ込められているのではないかと思う。
毎年、(賞レースを勝ち抜くための)試聴用DVDの配送の弊害が問題になっている。しかし、スタジオはさらなる量のDVDを送り続ける。あの不快なDVDが海賊版に貢献していることや、彼らの作品の芸術的クオリティを十分に表現出来ないものだとわかっていながら、なぜこれまで以上の量を氾濫させるのだ(私自身、およそ100枚受け取った)? そして、敢えて映画の公開前にDVDを送るのはいったいどういうことなのだ?
DVDの初めに添えられている法的警告文は、より長くなっている(そして数カ国語で書かれてもいる)。弁護士たちは、この恐ろしい警告を皆が読むとでも思っているかのようだ。アカデミーは少なくとも、海賊版の問題を解決するためにという目的で、2年前のように投票者たちにあの不恰好なビデオテープを発送するのは止めたようだ。
いずれにしろ、私はこつこつとこのDVDを観た。そして今、映画の長所と短所を証言することが出来る。良い点は、ある作品を自宅でもう一度見ることで、見逃してしまった演技や音楽の良さを確認できるということだ。
一方で、劇場でのプレミア上映といった緊張感のある場所ではなく、ソファに座ってじっと観ることによって、前回はやり過ごしていた疑問が浮かんだりする。それは、平凡な論理的問題などである。例えば以下のようなものだ。
●『アイ・アム・レジェンド』では、なぜウィルスに犯されたマンハッタンに、ウィル・スミス一人が取り残されてしまったのだ? 可哀想なウィルが、犬以外とも交流できるように、4、5人の小さなグループを作れなかったのか?
●“I’m Not There”の、あの手当たり次第のボブ・ディランの中で、本物は一体誰だったんだ?
●ロサンゼルス・タイムス紙は、“Into the Wild”の主役は、「彼が消費的生活に順応することをやめた時の、有頂天さと理想郷」の両方だと説明していたが、エミール・ハーシュを忘却の彼方へ駆り立てた真の理由はなんだったのだ?
●フィリップ・シーモア・ホフマンが『チャーリー・ウィルソンズ・ウォー』のためにあれほど体重を増やさなければならなかったのは、彼の役どころがCIAというより、実は農務省の「覆面役人」だったからなのか?
●妊婦である16歳のジュノは、本当にいつもあんなに気の利いた話し方ばかりするのか? 彼女は常に、「べっ甲の眼鏡をかけてゴス調のメイクをしてチェロを演奏するような不気味な女の子をナンパして…」とか、「中国ではiPodみたいにタダで子供を配ってるらしいよ」といった台詞ばかり言っている。
私はあの映画が好きだったが、ジュノの話し方は私にしてみれば、30歳の元ストリッパーが脚本家として名声を挙げようとしているように思える。
●『ノーカントリー』は、なぜストーリーが解決せずに、繰り返しのまま終わるのだ。コーエン兄弟は映画ではなく舞台をやることに決めたのか? または、どこに俳優を落ち着かせるかで意見が分かれたのか? ところで、私はこの映画もとても好きだったのだが。
こういった疑問は出てきたものの、スタジオがついに考えを変えて、DVDを送ってくれることにとても感謝している。普段なら見逃してしまう映画も、たくさん観ることが出来た。——ところで、この事実がまた新しい疑問を浮かばせた:
今年「深刻な」映画を作った人たちは、日の当たらない場所に居る。『スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師』の血は、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のオイルのように噴出していたし、今年の戦争映画のからの収穫は『ホステル2』のような「拷問的ポルノ」のジャンルに入れることが出来る場面もあった。ある意味、彼らの怒りも理解できる。でも、こういった映画の製作者たちは、婉曲した時間か歪曲的エゴに閉じ込められているのではないかと思う。






















