
ピーター・バート
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
米バラエティ誌 編集長。ウォール・ストリート・ジャーナル紙とニューヨーク・タイムス紙のレポーターを経て、1967年にパラマウント・ピクチャーズへ。『ゴッドファーザー』『ペーパー・ムーン』『ローズマリーの赤ちゃん』など数々の名作のプロデュースに関わり、77年、独自の製作会社を設立。そこで『郵便配達は二度ベルを鳴らす』などの作品をプロデュースする。MGM/UAの上席副社長を経て、89年よりバラエティ誌の編集長兼副社長を務める。
アート系作品の表彰では視聴率は稼げまい
いよいよキャンペーンが始まった。金銭がばらまかれ、シャンペンのコルクがあちこちで弾ける。もちろんオスカー・レースのことを言っているのだ。大統領選挙の予備選のことではない。もっとも、オスカーのキャンペーンの方が、もっと不透明なのだが。
発表までの3週間で、どれだけ露出できるか。キャンペーンの仕掛け人たちは、『ノーカントリー』対『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(あえて、明らかな対抗馬を2作品挙げてみただけだが)のどちらを支持するかを誘導していくのだ。暗く、暴力的な作品(ここには『JUNO/ジュノ』は含んでいない)の占めるレースは、スタジオの大作ではなく、アート部門の作品ばかり。
先週、関係者の関心は、「アカデミー賞は開催されるのか?」というところにあったが、ノミネート作品が発表された今、こう変わった。「アカデミー賞を観るやつはいるのか?」
ノミネートされた作品の質について、とやかく言う者はいないだろう。だが、なぜ今年、スタジオは大作を後押しするのを止めたのかという疑問は残る。観客にウケた作品はもっとあった。もちろん、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『スパイダーマン』の続編にオスカー・キャンペーンの費用を注ぎ込まないのは分かる。しかし、なぜ、絶妙に良く出来た『ゾディアック』や『アメリカン・ギャングスター』、 “Knocked Up”、『ボーン・アルティメイタム』などまでが見捨てられてしまったのだ?
スタジオは本質的に、アート系作品こそオスカーで称えられるべき、としてしまっているらしい。昔のスタジオ経営者たちは、そうは思っていなかったはずだが。
こういった傾向は、ごく最近のものだ。わずか4年前でさえ、『ロード・オブ・ザ・リング』、『マスター・アンド・コマンダー』、『シービスケット』、『ミスティック・リバー』(そして『ロスト・イン・トランスレーション』もあったが)といったヒット作品がオスカー・レースの中心にいた。そして異例の『クラッシュ』の受賞。この穴馬がスポットライトを浴びた瞬間は、確かに爽快だった。しかし、あの作品が特に重要な作品だったかというと、そうではない。さらに言うと、『クラッシュ』が受賞した年の授賞式の視聴率も、“クラッシュ”(崩壊)していたのだ。(『タイタニック』の年が5500万人だったのに対し、『クラッシュ』の年は3890万人だった。)
もちろん、アカデミー賞は視聴率で計るものではない。そして、アート系作品のアカデミー賞への参入は重要な現象であることも認める。映画という商品の配給のパイプラインを広げることになるからだ。つまり、スタジオは大作ばかりに気をとられ、アカデミー賞にでも絡まなければ、アート系作品は隅に追いやられるのが関の山だ。
実際に、新世代のアート系作品は、オスカー・レースに絡むことにより、重要なマーケティングを得ることが出来る。例えば今年、作品賞にノミネートされている5作品のうち、今のところ外国の興行でも健闘しているのはたった2作品。そしてアメリカ国内で5000万ドル以上の興行を出したのは『JUNO/ジュノ』のみだ。
つまり、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のような作品にとっては、『ボーン・アルティメイタム』のような作品より、アカデミー賞にノミネートされた場合の恩恵が大きい。『ボーン・アルティメイタム』は、すでに全世界で興行的に成功しているのだから。
オスカーは、このように、新しいアート系作品に大きな利益をもたらす。アート系作品は低予算で製作され、利益からの分配もそこそこに抑えられている。さらに、リスクの幅も慎重に計算されている。なにしろ、スティーヴ・サミュエルズ(『フィクサー』)やボブ・ヤーリ(『クラッシュ』)といった、不動産王たちが製作陣として名を連ねているのだから。
さて、俳優のエージェントによると、アート系部門の責任者たちは、本来なら一作品の出演料が2000万ドルにもなる俳優に、もし、うちの映画に出て、こんなにいい役を演じられる名誉を与えられたいなら、最低賃金で仕事をしてもらうことになる、と恥ずかしげもなく言ってのける。自分たちは、巨大エンタテインメント企業の社員として十分な給料を貰っておきながら、だ。
このような偽善がすっかり型にはまっているにも関わらず、彼らの戦略は上手く行っている。良作が作られ、真面目な若いフィルムメーカーたちがちやほやされ、今後数週間のうちにはオスカー・キャンペーンが、ところ狭しと駆け回っているだろう。誇大広告で盛り上げた後には、何千もの映画ファンたちが『つぐない』を観に出かけ、『ノーカントリー』のDVDは売り切れとなる。だが、『JUNO/ジュノ』は、海外で大ヒット、というわけにはいかないかもしれない。
キャンペーンに押し出されたおかげで、普段はあまりお目にかかれない人たちを見ることができるという楽しみもある。ウェールズで半分隠居生活を送っていたジュリー・クリスティや、がんばって英語でインタビューに答えているマリオン・コティヤール、そして、緊張でコチコチになっているエレン・ページが大人になっていく姿を見るのも楽しい(彼女は“まじ”で20歳で、“クール”だ)。
しかし、ジョディ・フォスターが『ブレイブ ワン』の役でノミネートされなかったのは、あの映画が「親会社」であるスタジオのために製作された作品だったからか? または、ジャド・アパトウ(“Knocked Up”)がノミネートされなかったのも、彼自身が成功している上に面白いのがいけないのか? はたまた、ラッセル・クロウの『アメリカン・ギャングスター』の演技や、エイミー・アダムスの『魔法にかけられて』の演技、そして『ゾディアック』でロバート・ダウニー・Jr.が見せた演技などがまったく無視されているのは、これらの作品がスタジオの大作系だからだろうか?
過去のどこかの時点で、何かがバランスを崩してしまったようだ。
スコット・ルーディンは、病的に引っ込み思案なプロデューサーだが、オスカー・シーズンには突如注目の的となる。そんな彼に言わせると、オスカー・キャンペーンは「戦略」ではなく、「錬金術」なのだとか。しかし、今日の映画ビジネスにおいて、実利的戦略家は錬金術よりもデータに興味を示す。そうだとしたら、何か数字の読み方を間違っているのだろう。
発表までの3週間で、どれだけ露出できるか。キャンペーンの仕掛け人たちは、『ノーカントリー』対『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』(あえて、明らかな対抗馬を2作品挙げてみただけだが)のどちらを支持するかを誘導していくのだ。暗く、暴力的な作品(ここには『JUNO/ジュノ』は含んでいない)の占めるレースは、スタジオの大作ではなく、アート部門の作品ばかり。
先週、関係者の関心は、「アカデミー賞は開催されるのか?」というところにあったが、ノミネート作品が発表された今、こう変わった。「アカデミー賞を観るやつはいるのか?」
ノミネートされた作品の質について、とやかく言う者はいないだろう。だが、なぜ今年、スタジオは大作を後押しするのを止めたのかという疑問は残る。観客にウケた作品はもっとあった。もちろん、『パイレーツ・オブ・カリビアン』や『スパイダーマン』の続編にオスカー・キャンペーンの費用を注ぎ込まないのは分かる。しかし、なぜ、絶妙に良く出来た『ゾディアック』や『アメリカン・ギャングスター』、 “Knocked Up”、『ボーン・アルティメイタム』などまでが見捨てられてしまったのだ?
スタジオは本質的に、アート系作品こそオスカーで称えられるべき、としてしまっているらしい。昔のスタジオ経営者たちは、そうは思っていなかったはずだが。
こういった傾向は、ごく最近のものだ。わずか4年前でさえ、『ロード・オブ・ザ・リング』、『マスター・アンド・コマンダー』、『シービスケット』、『ミスティック・リバー』(そして『ロスト・イン・トランスレーション』もあったが)といったヒット作品がオスカー・レースの中心にいた。そして異例の『クラッシュ』の受賞。この穴馬がスポットライトを浴びた瞬間は、確かに爽快だった。しかし、あの作品が特に重要な作品だったかというと、そうではない。さらに言うと、『クラッシュ』が受賞した年の授賞式の視聴率も、“クラッシュ”(崩壊)していたのだ。(『タイタニック』の年が5500万人だったのに対し、『クラッシュ』の年は3890万人だった。)
もちろん、アカデミー賞は視聴率で計るものではない。そして、アート系作品のアカデミー賞への参入は重要な現象であることも認める。映画という商品の配給のパイプラインを広げることになるからだ。つまり、スタジオは大作ばかりに気をとられ、アカデミー賞にでも絡まなければ、アート系作品は隅に追いやられるのが関の山だ。
実際に、新世代のアート系作品は、オスカー・レースに絡むことにより、重要なマーケティングを得ることが出来る。例えば今年、作品賞にノミネートされている5作品のうち、今のところ外国の興行でも健闘しているのはたった2作品。そしてアメリカ国内で5000万ドル以上の興行を出したのは『JUNO/ジュノ』のみだ。
つまり、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』のような作品にとっては、『ボーン・アルティメイタム』のような作品より、アカデミー賞にノミネートされた場合の恩恵が大きい。『ボーン・アルティメイタム』は、すでに全世界で興行的に成功しているのだから。
オスカーは、このように、新しいアート系作品に大きな利益をもたらす。アート系作品は低予算で製作され、利益からの分配もそこそこに抑えられている。さらに、リスクの幅も慎重に計算されている。なにしろ、スティーヴ・サミュエルズ(『フィクサー』)やボブ・ヤーリ(『クラッシュ』)といった、不動産王たちが製作陣として名を連ねているのだから。
さて、俳優のエージェントによると、アート系部門の責任者たちは、本来なら一作品の出演料が2000万ドルにもなる俳優に、もし、うちの映画に出て、こんなにいい役を演じられる名誉を与えられたいなら、最低賃金で仕事をしてもらうことになる、と恥ずかしげもなく言ってのける。自分たちは、巨大エンタテインメント企業の社員として十分な給料を貰っておきながら、だ。
このような偽善がすっかり型にはまっているにも関わらず、彼らの戦略は上手く行っている。良作が作られ、真面目な若いフィルムメーカーたちがちやほやされ、今後数週間のうちにはオスカー・キャンペーンが、ところ狭しと駆け回っているだろう。誇大広告で盛り上げた後には、何千もの映画ファンたちが『つぐない』を観に出かけ、『ノーカントリー』のDVDは売り切れとなる。だが、『JUNO/ジュノ』は、海外で大ヒット、というわけにはいかないかもしれない。
キャンペーンに押し出されたおかげで、普段はあまりお目にかかれない人たちを見ることができるという楽しみもある。ウェールズで半分隠居生活を送っていたジュリー・クリスティや、がんばって英語でインタビューに答えているマリオン・コティヤール、そして、緊張でコチコチになっているエレン・ページが大人になっていく姿を見るのも楽しい(彼女は“まじ”で20歳で、“クール”だ)。
しかし、ジョディ・フォスターが『ブレイブ ワン』の役でノミネートされなかったのは、あの映画が「親会社」であるスタジオのために製作された作品だったからか? または、ジャド・アパトウ(“Knocked Up”)がノミネートされなかったのも、彼自身が成功している上に面白いのがいけないのか? はたまた、ラッセル・クロウの『アメリカン・ギャングスター』の演技や、エイミー・アダムスの『魔法にかけられて』の演技、そして『ゾディアック』でロバート・ダウニー・Jr.が見せた演技などがまったく無視されているのは、これらの作品がスタジオの大作系だからだろうか?
過去のどこかの時点で、何かがバランスを崩してしまったようだ。
スコット・ルーディンは、病的に引っ込み思案なプロデューサーだが、オスカー・シーズンには突如注目の的となる。そんな彼に言わせると、オスカー・キャンペーンは「戦略」ではなく、「錬金術」なのだとか。しかし、今日の映画ビジネスにおいて、実利的戦略家は錬金術よりもデータに興味を示す。そうだとしたら、何か数字の読み方を間違っているのだろう。






















