
作者自らが語る「みんなのもの」
2000年代のマンガのトレンドについて、キーワード的にまとめるのであれば「成熟」になるだろうか。ご存知のとおり、マンガは小中学生男子向けとか、20代女性向けとか、読者市場の年齢や性別を細かく分けて発達してきた。その区分はいまでも生きているが、「誰に読まれてもいい」という、マーケティング的なセグメントを超えた作品が出てくるようになった。たとえば、吉崎観音「ケロロ軍曹」(角川書店)。藤子・F・不二雄やガンダムなど、30代以上のオタクに受けるネタをふんだんに含んだ同作は、大人のマニアのものと見られてきた。しかし現実には子供たちにヒットし、作者自ら「みんなのもの」と語る。これが「成熟」だ。考えてみれば、文学でも、映画でも、あるいはアートでも、それが何歳くらいの受け手に向けたものかは意識されず評価されているではないか。
他業種でキャリアを積んだ新人漫画家の登場
読者の年齢が問われないことが定着すると、10~20代の読者と同世代のマンガ家たちが感性的な共感をもとに発信し、それがそのまま表現のフロントになるという構図も崩れてくる。同時にそれは、表現上の達成や洗練が評価されるようになることを意味する。結果、30~40代以上のベテランの仕事がせりあがってくる。今年、高く評価された吉田秋生「海街Diary 蝉時雨のやむ頃」(小学館)は、その好例だ。さらにここ数年、他の業界でキャリアを積んだ40代の「新人マンガ家」たちが、自身の経験を生かした佳作を発表している。現役の富山大学准教授にして文化人類学者である都留泰作「ナチュン」(講談社)や、CM制作会社で映像制作に携わっていた島田虎之介「トロイメライ」(青林工藝舎)がそうだ。どちらも奇想天外なテーマと、生活感のある日常描写が混在する作品である。こと「ナチュン」の表現スタイルは、70~80年代のニューウェーヴ・コミックに近い。だがその反時代的なまでの「古さ」を、若い読者たちはスタイルのひとつとして受け止めている。これもまた「成熟」の表れだろう。
文:伊藤剛
愛知県生まれ。マンガ評論家。日本マンガ学会会員。2006年度より武蔵野美術大学芸術文化学科非常勤講師、2007年度より東京工芸大学マンガ学科非常勤講師。著書に「テヅカ・イズ・デッド」(05)、「マンガは変わる」(07)がある。






















