
自分をダメにするチャンスの多い、より厳しい世界へ
今年で俳優生活40年を超え、いっそうその活躍に弾みがついている名アクター、水谷豊。『逃がれの街』以来、25年ぶりとなる主演映画『『相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』の公開は、まもなくだ。水谷が扮するのは警視庁一の切れ者だが、頑固でユニークな性格ゆえ上層部から疎まれ、“はぐれキャリア”となった杉下右京。かたや良きバディ、寺脇康文が演じるのは、捜査一課の刑事時代にある事件でミスを犯し、特命係に移された亀山薫。もうすぐ二人にスクリーンで会える……。
が! ここで、ふと素朴な疑問が湧かないか。
数こそ少ないが、70〜80年代前半までは記憶に残る映画出演があった(とりわけ76年、当時最年少でキネマ旬報主演男優賞に輝いた『青春の殺人者』は名篇)。それがいつしか、80年代中盤、重心を完全にTVドラマに置くようになったのはなぜなのか?
「自分をダメにするチャンスの多い、より厳しい世界に身を投じてみたくなったんですよ」
彼はそう言って、続けた。
「映画への気持ちが強かったのは確かですね。で、『逃がれの街』に出演したあと、“しばらく映画はやらない”と決めたんです。『逃がれの街』の監督は大好きな工藤栄一さんだったのですが、これ以上は望めないというか、自分の映画への思いが空回りしていく気がしたんですね。30歳を過ぎて、それまでもたびたび、俳優をやめようと思っていた。ならばハッキリと答えを出すために、TVドラマの世界に身を投じてみようと。“ダメになるチャンス”というのは、TVドラマは映画よりも環境が厳しい。予算も製作費も少ないし、撮影時間もとれない。その中で生き残れないのなら、ダメになったほうがいいと考えたんです。特にシリーズ作品になると本人の“今の状態”が試されるんですね。そこで、どういうものを視聴者に見せられるのか。“魅力的なものを出せなかったらオシマイ”という場所に自分の身を置いてみたかったんです」
が! ここで、ふと素朴な疑問が湧かないか。
数こそ少ないが、70〜80年代前半までは記憶に残る映画出演があった(とりわけ76年、当時最年少でキネマ旬報主演男優賞に輝いた『青春の殺人者』は名篇)。それがいつしか、80年代中盤、重心を完全にTVドラマに置くようになったのはなぜなのか?
「自分をダメにするチャンスの多い、より厳しい世界に身を投じてみたくなったんですよ」
彼はそう言って、続けた。
「映画への気持ちが強かったのは確かですね。で、『逃がれの街』に出演したあと、“しばらく映画はやらない”と決めたんです。『逃がれの街』の監督は大好きな工藤栄一さんだったのですが、これ以上は望めないというか、自分の映画への思いが空回りしていく気がしたんですね。30歳を過ぎて、それまでもたびたび、俳優をやめようと思っていた。ならばハッキリと答えを出すために、TVドラマの世界に身を投じてみようと。“ダメになるチャンス”というのは、TVドラマは映画よりも環境が厳しい。予算も製作費も少ないし、撮影時間もとれない。その中で生き残れないのなら、ダメになったほうがいいと考えたんです。特にシリーズ作品になると本人の“今の状態”が試されるんですね。そこで、どういうものを視聴者に見せられるのか。“魅力的なものを出せなかったらオシマイ”という場所に自分の身を置いてみたかったんです」
大ヒットする、4つの条件が揃った感触

©2008「相棒 -劇場版- 」パートナーズ
そんな厳しい環境の中で、水谷豊は数々のヒットシリーズを輩出してきた。「相棒」もそのひとつだ。00年、テレビ朝日の“土曜ワイド劇場”枠で第1作目が放映されたのが最初。02年より連続ドラマとしてスタートし、先頃終了したSeason6に至るまで8年も続く大ヒットシリーズとなり、今回はそれを経ての映画化である。
「最初に……土曜ワイドで始まったときでした。和泉聖治監督と二人で、“これ、映画の世界もありますよね”という話をしたことがあったんです。作品の構えとしても奥行きとしても可能性を感じた。それほど面白い脚本でしたし、演出も素晴らしい。僕はずーっとこんな持論を持っていたんです。プロデューサー、脚本、現場の監督とスタッフ、キャスト……この4つのうち、2つ揃えばドラマはできると。逆を言えば、どれか2つが欠けていてもドラマはできるんですよね。それでもし、条件が4つ揃ったら大ヒットする可能性があると。『相棒』はキャストのメンバーが固まり、メインの脚本家に興水(泰弘)さんが決まって、4つ揃った感触がありました。それで僕が“Season5までは確実に行くことになるよ”と言ったら、プロデューサーの皆さんは“えーっ!?”て(笑)。それは、そうですよね。実際は手探り状態で始まったばかりでしたから、今でも興水さんとは時々、メールのやりとりをしているのですが、あのときに早くも“ドラマ史に残るドラマになると思います”とも打っていたんですよ。現在Season6を終えたので、明かせますが、当時はよくもまあそんなことを……ですよね(笑)」
「最初に……土曜ワイドで始まったときでした。和泉聖治監督と二人で、“これ、映画の世界もありますよね”という話をしたことがあったんです。作品の構えとしても奥行きとしても可能性を感じた。それほど面白い脚本でしたし、演出も素晴らしい。僕はずーっとこんな持論を持っていたんです。プロデューサー、脚本、現場の監督とスタッフ、キャスト……この4つのうち、2つ揃えばドラマはできると。逆を言えば、どれか2つが欠けていてもドラマはできるんですよね。それでもし、条件が4つ揃ったら大ヒットする可能性があると。『相棒』はキャストのメンバーが固まり、メインの脚本家に興水(泰弘)さんが決まって、4つ揃った感触がありました。それで僕が“Season5までは確実に行くことになるよ”と言ったら、プロデューサーの皆さんは“えーっ!?”て(笑)。それは、そうですよね。実際は手探り状態で始まったばかりでしたから、今でも興水さんとは時々、メールのやりとりをしているのですが、あのときに早くも“ドラマ史に残るドラマになると思います”とも打っていたんですよ。現在Season6を終えたので、明かせますが、当時はよくもまあそんなことを……ですよね(笑)」
「豊の後に豊はいない」ある名優の言葉
右京のかつての上司で、彼を特命係へと追いやった警視庁官房室長・小野田を演じるのは、レギュラー出演者の岸部一徳。敵か味方か、グレーな存在。水谷の盟友ともいえる燻し銀の共演者だ。
「15年ほど前かな、正月に放映された2時間ドラマだったのですが、それで初めてご一緒して、ある時にロケバスで二人だけになったんです。何を話そうかなと思って、なんとなく、どういうことが好きか嫌いか、また、どういう作品が好きか嫌いかという話になって。これは言う人を違ったら危険ですよね。“自分自身を喋ってる”わけですから。そんなことで一気に距離が近くなって、『相棒』でまたご一緒できて。今は二人でお茶を飲んだり食事をしたり……いわゆる“裏相棒”になっていますね」
二人にはある因縁があった。それはTVドラマの金字塔「傷だらけの天使」(74〜75)。水谷豊は出演、音楽を担当していた井上堯之バンドに所属していたのが岸部一徳。しかも彼は、第25話と第26話(最終回)のラストを飾った名曲「一人」の作詞も手掛けていたのだ。そして「傷だらけの天使」では、水谷が尊敬してやまぬ、今は亡き名優・岸田森(しん)との忘れ難い出会いもあった。
「よく覚えているのは、『傷だらけの天使』をやったとき“これから豊はどんどん売れて行く”って仰って下さったんですよ、シンさん。それで、“豊のような俳優は生まれないだろう。豊の後に豊はいない。今は自分が先輩だから俺がおごる。いつか豊が売れた時に、返してくれればいい”って。そんな風に付き合っていただき、シンさんが僕に与えてくれた言葉の中で今でも本当にそうだなと思っているのが、“俳優にとって何が一番高尚な芝居か”ということ。つまり、その人そのものに見えるということ。“豊はどの作品を見ても役の中の人物に見える”と。“それでいいんだ”って。23歳くらいでしたかねえ、その頃にシンさんに言われたんですよね」
「15年ほど前かな、正月に放映された2時間ドラマだったのですが、それで初めてご一緒して、ある時にロケバスで二人だけになったんです。何を話そうかなと思って、なんとなく、どういうことが好きか嫌いか、また、どういう作品が好きか嫌いかという話になって。これは言う人を違ったら危険ですよね。“自分自身を喋ってる”わけですから。そんなことで一気に距離が近くなって、『相棒』でまたご一緒できて。今は二人でお茶を飲んだり食事をしたり……いわゆる“裏相棒”になっていますね」
二人にはある因縁があった。それはTVドラマの金字塔「傷だらけの天使」(74〜75)。水谷豊は出演、音楽を担当していた井上堯之バンドに所属していたのが岸部一徳。しかも彼は、第25話と第26話(最終回)のラストを飾った名曲「一人」の作詞も手掛けていたのだ。そして「傷だらけの天使」では、水谷が尊敬してやまぬ、今は亡き名優・岸田森(しん)との忘れ難い出会いもあった。
「よく覚えているのは、『傷だらけの天使』をやったとき“これから豊はどんどん売れて行く”って仰って下さったんですよ、シンさん。それで、“豊のような俳優は生まれないだろう。豊の後に豊はいない。今は自分が先輩だから俺がおごる。いつか豊が売れた時に、返してくれればいい”って。そんな風に付き合っていただき、シンさんが僕に与えてくれた言葉の中で今でも本当にそうだなと思っているのが、“俳優にとって何が一番高尚な芝居か”ということ。つまり、その人そのものに見えるということ。“豊はどの作品を見ても役の中の人物に見える”と。“それでいいんだ”って。23歳くらいでしたかねえ、その頃にシンさんに言われたんですよね」
22年ぶりにアルバムをリリース、歌手・水谷豊
なるほど。その人そのものに見える——それはまさに、「相棒」シリーズの“杉下右京”に同化している水谷豊にも当てはまる。
「善であろうと悪であろうと、実はそう見えるだけで僕自身は変身していないんですよ。重要なのは、ずっと自分でいられるかどうかだけ。それでも結果、役の人物になっているように見えるのが理想。あるシチュエーションを与えられたら、“僕だったらどうする”って考えるんですね。僕自身の内面は変わっていないけど、観客には役柄を通して“別人に見える”というのが僕の理想なんです」
と、言って、紅茶(←杉下右京のトレードマーク)に口をつけるや「あっ、今、気がついたんですけど、どうも僕、“岸”がつく人と気が合うようですね……岸田森さんに岸部一徳さん……」とニッコリ。大人の余裕である。
彼のファンにとっては、25年ぶりの映画出演と並んで、もうひとつ大きなニュースが。そう、歌手・水谷豊! 自らのヒット曲をセルフカヴァーした22年ぶりのアルバム「TIME CAPSULE」を映画公開後、5月14日にリリースする。その前に、4月30日放送のNHKの音楽番組「SONGS」に出演、これは必見必聴だろう。
「善であろうと悪であろうと、実はそう見えるだけで僕自身は変身していないんですよ。重要なのは、ずっと自分でいられるかどうかだけ。それでも結果、役の人物になっているように見えるのが理想。あるシチュエーションを与えられたら、“僕だったらどうする”って考えるんですね。僕自身の内面は変わっていないけど、観客には役柄を通して“別人に見える”というのが僕の理想なんです」
と、言って、紅茶(←杉下右京のトレードマーク)に口をつけるや「あっ、今、気がついたんですけど、どうも僕、“岸”がつく人と気が合うようですね……岸田森さんに岸部一徳さん……」とニッコリ。大人の余裕である。
彼のファンにとっては、25年ぶりの映画出演と並んで、もうひとつ大きなニュースが。そう、歌手・水谷豊! 自らのヒット曲をセルフカヴァーした22年ぶりのアルバム「TIME CAPSULE」を映画公開後、5月14日にリリースする。その前に、4月30日放送のNHKの音楽番組「SONGS」に出演、これは必見必聴だろう。
あそこで諦めていたら二度と歌ってはいない名曲
「生バンドの編成で、そのうちの2曲は14人のストリングスだったんです。自分がまさかそんな豪華な編成に囲まれ、しかも歌を披露するなんて思ってもいなかった。最初は4曲って聞いていたんですが、5曲に増えまして。最初は1曲でもどうかと悩んでいたのに、ディレクターさんにもう1曲リクエストされましてね……」
曲目は、「熱中時代・刑事編」(79)の主題歌で65万枚を越すセールスを記録した「カリフォルニア・コネクション」(作詞・阿木耀子、作曲・平尾昌晃)をはじめ、「やさしさ紙芝居」(作詞・松本隆、作曲・平尾昌晃)、「表参道軟派ストリート」(作詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童)、「はーばーらいと」(作詞・松本隆、作曲・井上陽水)、そして「何んて優しい時代」は「事件記者チャボ」(83)の主題歌で、水谷本人の作詞作曲した楽曲である。
「そうなんですよ。なぜ、当時は、あんなことができたんでしょうねえ(笑)。『何んて優しい時代』に関しては、30年来付き合いのあるディレクター(=松田直)の家に行ったときに、僕、知っている簡単なコードで“だいたいこんな感じ”って作ったものだったんですね。でも周囲からは“これは曲としてはちょっと成立してないだろう”という話が出たらしいです(笑)。でも諦めるのも悔しいなと思っていたら、アレンジャーの瀬尾一三さんが“勢いがあるし、本人が作ったものなんだからちょっとやってみようよ”と言って助けてくれたんですね。実際はそれで成立したところがありますね。それで、今回改めてアレンジを変えてやってみたんです。あそこで諦めていたら、もう二度と歌ってはいない曲なんですよね」
曲目は、「熱中時代・刑事編」(79)の主題歌で65万枚を越すセールスを記録した「カリフォルニア・コネクション」(作詞・阿木耀子、作曲・平尾昌晃)をはじめ、「やさしさ紙芝居」(作詞・松本隆、作曲・平尾昌晃)、「表参道軟派ストリート」(作詞・阿木耀子、作曲・宇崎竜童)、「はーばーらいと」(作詞・松本隆、作曲・井上陽水)、そして「何んて優しい時代」は「事件記者チャボ」(83)の主題歌で、水谷本人の作詞作曲した楽曲である。
「そうなんですよ。なぜ、当時は、あんなことができたんでしょうねえ(笑)。『何んて優しい時代』に関しては、30年来付き合いのあるディレクター(=松田直)の家に行ったときに、僕、知っている簡単なコードで“だいたいこんな感じ”って作ったものだったんですね。でも周囲からは“これは曲としてはちょっと成立してないだろう”という話が出たらしいです(笑)。でも諦めるのも悔しいなと思っていたら、アレンジャーの瀬尾一三さんが“勢いがあるし、本人が作ったものなんだからちょっとやってみようよ”と言って助けてくれたんですね。実際はそれで成立したところがありますね。それで、今回改めてアレンジを変えてやってみたんです。あそこで諦めていたら、もう二度と歌ってはいない曲なんですよね」
最後に訊いてみた。
「俳優生活も、そうやって諦めない歴史の連続でしたか?」
水谷豊は、静かに言葉を紡いだ。
「その連続でしたね。全部が今は、笑えるような楽しい思い出ではあるんですが、常にどちらかを選ばなくてはならない、分かれ道ばかりに直面してきましたね……いや、きっと、これからもそうだと思うんですけれども」
水谷豊
1952年7月14日、北海道出身。65年、児童劇団に入団。68年にテレビドラマ「バンパイヤ」で初主演し、70年『その人は女教師』で映画初主演。ドラマシリーズ「傷だらけの天使」(74~75)、「熱中時代」(78~79、80~81)などが大ヒットする。代表作に『青春の殺人者』、『幸福』、『逃がれの街』など。また79年にはドラマ「熱中時代・刑事編」の主題歌としてリリースした「カリフォルニア・コネクション」が大ヒットし、歌手としても活躍。5月14日には、22年ぶりとなるCDアルバム「TIME CAPSULE」(avex io)を発売。
『相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』
●日本/117分/2008年5月1日から日本公開開始●配給/東映
「俳優生活も、そうやって諦めない歴史の連続でしたか?」
水谷豊は、静かに言葉を紡いだ。
「その連続でしたね。全部が今は、笑えるような楽しい思い出ではあるんですが、常にどちらかを選ばなくてはならない、分かれ道ばかりに直面してきましたね……いや、きっと、これからもそうだと思うんですけれども」
水谷豊
1952年7月14日、北海道出身。65年、児童劇団に入団。68年にテレビドラマ「バンパイヤ」で初主演し、70年『その人は女教師』で映画初主演。ドラマシリーズ「傷だらけの天使」(74~75)、「熱中時代」(78~79、80~81)などが大ヒットする。代表作に『青春の殺人者』、『幸福』、『逃がれの街』など。また79年にはドラマ「熱中時代・刑事編」の主題歌としてリリースした「カリフォルニア・コネクション」が大ヒットし、歌手としても活躍。5月14日には、22年ぶりとなるCDアルバム「TIME CAPSULE」(avex io)を発売。
『相棒-劇場版- 絶体絶命!42.195km 東京ビッグシティマラソン』
●日本/117分/2008年5月1日から日本公開開始●配給/東映
photographs by Nobuyuki Kobayashi,text by Yukio Todoroki


























