第20回東京国際映画祭が10月28日(日)に終幕した。クロージング作品は、役所広司らが出演している国際合作『シルク』(日本では、来年正月第2弾公開)。コンペティションでは、イスラエル映画『迷子の警察音楽隊』が最高賞を受賞した。
今年は節目となる第20回であったが、いい意味でも悪い意味でも、同映画祭チェアマンである角川歴彦氏の集大成的な色合いが強かったと言えよう。オープニングの派手なパフォーマンス、マーケット部門の持続性、米映画依存からの脱却、各種イベントの豊富さ、アジア映画、邦画の充実した編成など。ただ、課題ももちろん残った。
まず、一般の人たちから見たらどうだっただろうか。ふだん映画にあまり関心を持たない人たちに、映画祭は伝わっていたか。否、であろう。
国際的な映画祭の大きな意味は、映画のすばらしさを広く伝える絶好の機会だということだ。ふだん映画館に行かないような人たちに向けて、その魅力の一端だけでも味わってもらう。そのために、作品が競い合ったり、有名俳優が多数登場する。具体的に作品に接しなくても(接してもらうのが一番よいのだが)、その華やかさのエッセンスは伝えられていく。これが、国際的な映画祭の真骨頂である。
今年は節目となる第20回であったが、いい意味でも悪い意味でも、同映画祭チェアマンである角川歴彦氏の集大成的な色合いが強かったと言えよう。オープニングの派手なパフォーマンス、マーケット部門の持続性、米映画依存からの脱却、各種イベントの豊富さ、アジア映画、邦画の充実した編成など。ただ、課題ももちろん残った。
まず、一般の人たちから見たらどうだっただろうか。ふだん映画にあまり関心を持たない人たちに、映画祭は伝わっていたか。否、であろう。
国際的な映画祭の大きな意味は、映画のすばらしさを広く伝える絶好の機会だということだ。ふだん映画館に行かないような人たちに向けて、その魅力の一端だけでも味わってもらう。そのために、作品が競い合ったり、有名俳優が多数登場する。具体的に作品に接しなくても(接してもらうのが一番よいのだが)、その華やかさのエッセンスは伝えられていく。これが、国際的な映画祭の真骨頂である。
いや、東京はそうした方向性を目指さない。もっと地道に、映画ファンのみに向けて、ローカル的な内容で勝負していく、というのなら、それもいいだろう。だから問題は、この映画祭はいったいどこを向いて、今後の舵取りをしていくのかということなのである。
その見極めが、まだできていないのではないか。アジアなのか、欧米なのか、どこを向いていくのか。幸いと言えるかわからないが、角川チェアマンのこだわりもあり、米映画の派手な俳優たちの登場がなくなり、映画祭はある種の落ち着きを持ちつつある。ただこれは、地味さと同義語でもあり、だからこそ一般層へのアピールが減ったとも言えるのだ。実に難しい選択である。
来年から、チェアマンが交替するのではと、映画関係者の間では早くもささやかれ始めた。いずれにしろ、誰がチェアマンをつとめようが、映画祭の真の独自性確立こそが、緊急の課題となろう。角川チェアマンは、その土台作りをしたと言えるのではないか。
その見極めが、まだできていないのではないか。アジアなのか、欧米なのか、どこを向いていくのか。幸いと言えるかわからないが、角川チェアマンのこだわりもあり、米映画の派手な俳優たちの登場がなくなり、映画祭はある種の落ち着きを持ちつつある。ただこれは、地味さと同義語でもあり、だからこそ一般層へのアピールが減ったとも言えるのだ。実に難しい選択である。
来年から、チェアマンが交替するのではと、映画関係者の間では早くもささやかれ始めた。いずれにしろ、誰がチェアマンをつとめようが、映画祭の真の独自性確立こそが、緊急の課題となろう。角川チェアマンは、その土台作りをしたと言えるのではないか。



















































