授賞式を盛り上げるために、アドリブや即興、その他様々な試みがなされてきたが、オスカーもエミーもやったことがないのが、授賞式の延期・中止だ。
全米脚本家組合(WGA)がアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞授賞式の台本執筆を拒否していることから、今年度の授賞式には不安要素が多い。WGAを支援する俳優たちは授賞式のボイコットを表明している。
過去79年の間に、オスカーは3度ほど授賞式を延期したことがある。しかしその理由は、どれも今年のようなストとは別のものだった。また、エミー賞は2001年に2度開催を遅らせたが、1度目は9.11のテロ、そして2度目はアフガニスタン侵攻が理由だった。
1938年、ロサンゼルスの洪水が授賞式を1週間遅らせた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが1968年に暗殺されたとき、授賞式は彼の葬式が終わるまで2日間延期された。1981年、オスカーはロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件があってから2日間、開催を先延ばした。
遡ってみると1960年、全米俳優組合(SAG)のストライキ中に、計画通りオスカー授賞式は開催された。しかもスト中にも関わらず、多くのスターたちが出席。司会のボブ・ホープは、ストライキをユーモラスにこう表現した。「ハリウッドで最も豪華なストライキ集会にようこそ。(中略)俳優たちは無作為な仲介者を連れてきました。フィデル・カストロです。(中略)誰か、ヘッダ・ホッパーの帽子に除草剤を撒いてください」。
しかしその20年後、SAGのストライキの末、エミー賞授賞式をボイコットした。司会のマイケル・ランドン、ボブ・ニューハート、そしてリー・レミックは退出したが、代わりにスティーヴ・アレンとディック・クラークが司会の穴を埋めた。
このようにストライキがセレモニー期間とぶつかっていた場合でも、過去の授賞式はどれもスムーズに開催されていたのだ。
1988年のアカデミー賞は、WGAがストライキに入ってから5週目に開催された。しかしボイコットはあってなかったようなものであった。
WGAのメンバーであり、組合の大きな支援者であるビリー・ワイルダーは、受賞したアービング・G・サルバーグ賞を受け取りに登壇した。オリンピア・デュカキスも、彼女の従弟マイケルが民主党候補になっていたが、政治的圧力に屈服することはなかった。事実、論議という点で言えば、授賞式の新しい会場となったシュライン・オーディトリアムに向かう道の異常な込み具合に勝るものはなかった。これは組合が関わったいかなるものより、大騒ぎであった。
この際、授賞式開催の助けとなったのは、ストライキが始まる前に授賞式の台本が執筆されていたことである。台本の残りを埋めるため、プロデューサーのサム・ゴールドウィン・ジュニア氏は、オスカー像を運ぶ役にコメディアンたちをリクルート。ついでに面白いネタがあればいくつか頂戴しようと試みた。
「授賞式の準備が大方済んでいたことに助けられたよ」とゴールドウィン氏は話す。しかもピケラインは、会場から遠い場所にあった。授賞式で最も問題となったのは、物資の手配だったという。
「色んな問題を抱えていたが、ストライキ関連のものではなかった」とゴールドウィン氏は思い返す。
実際、司会のチェビー・チェイスがオープニングの独演で「こんばんは、ハリウッドのウソつきたち」と言った以外、観衆はストライキが授賞式にもたらした影響に気づかなかっただろう。
来年初旬に控える授賞式のピケラインの可能性について、ゴールドウィン氏は
「オスカーがこの問題に巻き込まれるのは悲しい」と言う。
「オスカーはそれらの問題を超越している。オスカーを政治的な駆け引きに使うのは間違っていると思う。これは映画を作る人々のための祝典であり、葉巻を吸っているようなお偉いサンのための感謝行事じゃない。 そしてそのように受け取られてはいけないのだ」。
全米脚本家組合(WGA)がアカデミー賞とゴールデン・グローブ賞授賞式の台本執筆を拒否していることから、今年度の授賞式には不安要素が多い。WGAを支援する俳優たちは授賞式のボイコットを表明している。
過去79年の間に、オスカーは3度ほど授賞式を延期したことがある。しかしその理由は、どれも今年のようなストとは別のものだった。また、エミー賞は2001年に2度開催を遅らせたが、1度目は9.11のテロ、そして2度目はアフガニスタン侵攻が理由だった。
1938年、ロサンゼルスの洪水が授賞式を1週間遅らせた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアが1968年に暗殺されたとき、授賞式は彼の葬式が終わるまで2日間延期された。1981年、オスカーはロナルド・レーガン大統領暗殺未遂事件があってから2日間、開催を先延ばした。
遡ってみると1960年、全米俳優組合(SAG)のストライキ中に、計画通りオスカー授賞式は開催された。しかもスト中にも関わらず、多くのスターたちが出席。司会のボブ・ホープは、ストライキをユーモラスにこう表現した。「ハリウッドで最も豪華なストライキ集会にようこそ。(中略)俳優たちは無作為な仲介者を連れてきました。フィデル・カストロです。(中略)誰か、ヘッダ・ホッパーの帽子に除草剤を撒いてください」。
しかしその20年後、SAGのストライキの末、エミー賞授賞式をボイコットした。司会のマイケル・ランドン、ボブ・ニューハート、そしてリー・レミックは退出したが、代わりにスティーヴ・アレンとディック・クラークが司会の穴を埋めた。
このようにストライキがセレモニー期間とぶつかっていた場合でも、過去の授賞式はどれもスムーズに開催されていたのだ。
1988年のアカデミー賞は、WGAがストライキに入ってから5週目に開催された。しかしボイコットはあってなかったようなものであった。
WGAのメンバーであり、組合の大きな支援者であるビリー・ワイルダーは、受賞したアービング・G・サルバーグ賞を受け取りに登壇した。オリンピア・デュカキスも、彼女の従弟マイケルが民主党候補になっていたが、政治的圧力に屈服することはなかった。事実、論議という点で言えば、授賞式の新しい会場となったシュライン・オーディトリアムに向かう道の異常な込み具合に勝るものはなかった。これは組合が関わったいかなるものより、大騒ぎであった。
この際、授賞式開催の助けとなったのは、ストライキが始まる前に授賞式の台本が執筆されていたことである。台本の残りを埋めるため、プロデューサーのサム・ゴールドウィン・ジュニア氏は、オスカー像を運ぶ役にコメディアンたちをリクルート。ついでに面白いネタがあればいくつか頂戴しようと試みた。
「授賞式の準備が大方済んでいたことに助けられたよ」とゴールドウィン氏は話す。しかもピケラインは、会場から遠い場所にあった。授賞式で最も問題となったのは、物資の手配だったという。
「色んな問題を抱えていたが、ストライキ関連のものではなかった」とゴールドウィン氏は思い返す。
実際、司会のチェビー・チェイスがオープニングの独演で「こんばんは、ハリウッドのウソつきたち」と言った以外、観衆はストライキが授賞式にもたらした影響に気づかなかっただろう。
来年初旬に控える授賞式のピケラインの可能性について、ゴールドウィン氏は
「オスカーがこの問題に巻き込まれるのは悲しい」と言う。
「オスカーはそれらの問題を超越している。オスカーを政治的な駆け引きに使うのは間違っていると思う。これは映画を作る人々のための祝典であり、葉巻を吸っているようなお偉いサンのための感謝行事じゃない。 そしてそのように受け取られてはいけないのだ」。



























































