
日向寺太郎監督(左)と中田政子さん
『火垂るの墓』の日向寺太郎監督が30日(土)、東京・北砂の東京大空襲・戦災資料センターで開催中の「記憶のなかの神戸空襲-豊田和子原画展 下町の暮らしと戦争」のトークショーにゲスト出演した。
野坂昭如の直木賞受賞作を初めて実写映画化。焼け出された幼い兄妹を引き取る親せきの叔母を演じた松坂慶子が、クランク・イン前に神戸空襲当時の様子についてアドバイスを受けたのが豊田さんだったこともあり、「神戸空襲を記録する会」代表の中田政子さんとともに今回のトークショーが実現した。
日向寺監督は、師と仰ぐ故黒木和雄監督がメガホンをとる予定だった同作のオファーを引き受ける際には相当悩んだという。「学生のころに読んで原作の大ファンだったが、戦争を経験していない人間が描けないだろうと思った。この問題を解決しないと前に進めないし、い縮したまま引き受けたら野坂さんにも黒木監督にも失礼だと感じた」と振り返った。
その不安を払拭させてくれたのは、『夢のまにまに』で90歳にして長編映画監督デビューを飾った木村威夫美術監督と、文芸評論家の加藤典洋氏だという。「木村監督の『当時を知っている人間にとっては再現しても仕方ない。あなたなりに撮ればいい』、加藤さんの『いずれ世代は代わる。語り手になるべき人間が主体になって次の世代へ伝えることが大切』というアドバイスで吹っ切れた」と語った。
しかし、劇中で空襲シーンは描かれていない。「技術的な問題ではなく、見た人の想像力に任せたかった。CGはあくまでCGでしかない」と主張。そのうえで、「亡くなった方をどう弔うか。幼い節子が死んだホタルに名前をつけて埋めたように、人にもすべて名がある。これを核にしようと思った」と製作段階でのこだわりを明かした。
これには中田さんも同意。「私の姉は1歳数カ月で母に背負われたまま亡くなった。さらに爆風で吹き飛ばされ、遺体もありません。それでも一生懸命あの時代を生きたんです」と吐露。空襲時に行方不明になった人々の死亡を証明する活動を続け、約900人の“名前のある死”を実証してきた原動力を切々と語った。
同展は、9月7日(日)まで開催。『火垂るの墓』は神保町・岩波ホールで公開中。
野坂昭如の直木賞受賞作を初めて実写映画化。焼け出された幼い兄妹を引き取る親せきの叔母を演じた松坂慶子が、クランク・イン前に神戸空襲当時の様子についてアドバイスを受けたのが豊田さんだったこともあり、「神戸空襲を記録する会」代表の中田政子さんとともに今回のトークショーが実現した。
日向寺監督は、師と仰ぐ故黒木和雄監督がメガホンをとる予定だった同作のオファーを引き受ける際には相当悩んだという。「学生のころに読んで原作の大ファンだったが、戦争を経験していない人間が描けないだろうと思った。この問題を解決しないと前に進めないし、い縮したまま引き受けたら野坂さんにも黒木監督にも失礼だと感じた」と振り返った。
その不安を払拭させてくれたのは、『夢のまにまに』で90歳にして長編映画監督デビューを飾った木村威夫美術監督と、文芸評論家の加藤典洋氏だという。「木村監督の『当時を知っている人間にとっては再現しても仕方ない。あなたなりに撮ればいい』、加藤さんの『いずれ世代は代わる。語り手になるべき人間が主体になって次の世代へ伝えることが大切』というアドバイスで吹っ切れた」と語った。
しかし、劇中で空襲シーンは描かれていない。「技術的な問題ではなく、見た人の想像力に任せたかった。CGはあくまでCGでしかない」と主張。そのうえで、「亡くなった方をどう弔うか。幼い節子が死んだホタルに名前をつけて埋めたように、人にもすべて名がある。これを核にしようと思った」と製作段階でのこだわりを明かした。
これには中田さんも同意。「私の姉は1歳数カ月で母に背負われたまま亡くなった。さらに爆風で吹き飛ばされ、遺体もありません。それでも一生懸命あの時代を生きたんです」と吐露。空襲時に行方不明になった人々の死亡を証明する活動を続け、約900人の“名前のある死”を実証してきた原動力を切々と語った。
同展は、9月7日(日)まで開催。『火垂るの墓』は神保町・岩波ホールで公開中。






















































