
イングマール・ベルイマン監督
20世紀の最も影響力のある映画監督の1人といわれ、昨年7月に亡くなったスウェーデンの巨匠イングマール・ベルイマンの名が、故郷ストックホルムの広場の名前になることになった。
この「イングマール・ベルイマン・スクエア」と名づけられる広場は、ストックホルム中心部の北、ソルナ地区につくられる。この地には、ベルイマンが1940年代に映画の仕事を始めたスタジオ、Filmstadenがあった。
当時はスウェーデンで最も大きく、影響力のある映画スタジオだった。同じスウェーデン出身の監督アルフ・シェーベルイもこのスタジオで数年働いている。
Filmstadenは既になくなっているが、スヴェンスク、ソネット、フォックスなどの映画会社は今もこのエリアにオフィスを構えている。
ベルイマンは1956年(日本公開は63年)の『第七の封印』や、外国語映画賞を含む4部門でオスカーを獲得した82年(同85年)の『ファニーとアレクサンデル』などで世界中から称賛された。オスカー外国語映画賞受賞は計3度。スウェーデン語映画ながら監督賞3度と脚本賞5度のノミネートは快挙だ。また、97年の第50回カンヌ映画祭では世界最高の映画監督として特別名誉賞パルム・ド・パルムを受賞した。
この「イングマール・ベルイマン・スクエア」と名づけられる広場は、ストックホルム中心部の北、ソルナ地区につくられる。この地には、ベルイマンが1940年代に映画の仕事を始めたスタジオ、Filmstadenがあった。
当時はスウェーデンで最も大きく、影響力のある映画スタジオだった。同じスウェーデン出身の監督アルフ・シェーベルイもこのスタジオで数年働いている。
Filmstadenは既になくなっているが、スヴェンスク、ソネット、フォックスなどの映画会社は今もこのエリアにオフィスを構えている。
ベルイマンは1956年(日本公開は63年)の『第七の封印』や、外国語映画賞を含む4部門でオスカーを獲得した82年(同85年)の『ファニーとアレクサンデル』などで世界中から称賛された。オスカー外国語映画賞受賞は計3度。スウェーデン語映画ながら監督賞3度と脚本賞5度のノミネートは快挙だ。また、97年の第50回カンヌ映画祭では世界最高の映画監督として特別名誉賞パルム・ド・パルムを受賞した。
















































