『地上より永遠に』でハリウッド史上最も有名なキスシーンを演じ、『王様と私』ではタイの王様とのダンスシーンで知られる女優のデボラ・カーが、10月16日(火)、英東部サフォークで亡くなった(86歳)。カーはパーキンソン病を患っていた。
『地上より永遠に』でのバート・ランカスターとのドラマチックなキスシーンはあまりにも有名。第二次世界大戦中のハワイで、波が激しく砕け散る中、濃厚なキスを演じた。カーが演じた欲求不満の女性の役は、検閲が厳しい1950年代のハリウッドの限界に挑戦した。
カーは、アカデミー主演女優賞に6回ノミネートされたが、受賞することはなかった。しかし、94年にアカデミー名誉賞を受賞。アカデミーはカーのことを、「完璧な優雅さと美しさを兼ね備えた女優。献身的に仕事に挑み、その姿勢は完璧。規律、エレガンスの象徴である」と称えた。
カーはどんな状況でも、仕事をそつなくこなすと評判だった。
「良くも悪くも、私は監督とけんかをしたことが一度も無いの。ちゃんと考えれば、何かしら方法がみつかるものよ」と、晩年に語っていた。
スコットランドのへレンズバラに生まれたカーは、土木技師で建築家でもある父親と母親の間に生まれた一人っ子。父親は、彼女が14歳の時に亡くなっている。5歳の時に両親と一緒に越したイギリスで、バレエの学校に通い始める。やがてロンドンのバレエ学校に奨学金を得て入学。17歳で「プロメテウス」の舞台に初出演。
やがて演劇に路線を変更。イギリスでは劇団の舞台に立ち、39年の第二次世界大戦の勃発で劇場が閉館になるまで演じていた。
その後も演技を続け、BBCラジオで子供向けの物語を読んだり、舞台や映画に小さな役で登場。43年には映画『老兵は死なず』で3役の女性を演じ、「まったく違う役を見事に演じわけた」と注目された。
46年に『自信売ります』でクラーク・ゲーブルと共演するためハリウッドに呼ばれる。その後、順調にキャリアを重ね、ジョン・ヒューストン、オットー・プレミンジャーやエリア・カザンなど、トップクラスの俳優や監督と仕事をするようになる。
しかし、しおらしい役ばかりが来ることに不満を感じ、スタジオと討論した結果、『地上より永遠に』のカレン・ホームズ役を勝ち取った。陸軍将校夫人でありながら、アルコール中毒症で欲求不満、しかもランカスター演じるワーデン軍曹と不倫をする。その強烈な役は彼女のキャリアの幅を大きく広げた。
その後は、殺人鬼からお姫さま、キリスト教徒の奴隷から修道女まで、様々な役を演じた。『王様と私』では、ユル・ブリンナー演じる、タイの王様の子供たちを教育する女性アンナの役を演じている。
カーが主演女優賞にノミネートされたのは、49年の“Edward My Son”。またそのほかにも 53年の『地上より永遠に』、56年の『王様と私』、57年の『白い砂』、58年の『旅路』、60年の『サンダウナーズ』の合計6作品でノミネートされている。
その他の代表的な出演作では、ケイリー・グラントと共演した『めぐり逢い』がある。
68年の『アレンジメント/愛の旋律』以降は、「いただく役に対して、自分が若すぎるか年取りすぎている」と思ったそうで、女優業から退いていた。性的表現などが露骨だったり、過激な暴力描写があるため断った脚本は何本もあると、AP通信に答えている。
68年の『さすらいの大空』では、ヌードシーンを断ったそうだ。「最近はみんな脱ぐから、と言われたときに、違うと思いました。ヌードシーンはサービスではないのです。ドラマの中で必然性があれば納得したのですが」。
実際にカーは、後にカットされたが、『アレンジメント/愛の旋律』で脱いでいる。「このシーンでのヌードは必要だった。夫と妻がベッドを共有するシーンだから、とても自然だった」と語っている。
カーは後に舞台に戻る。エドワーズ・アルビーのブロードウェイ劇“Seascape”やロサンゼルスでは”Long Day Journey Into the Night”の舞台を踏んでいる。
ブロードウェイのデビューは53年。「お茶と同情」では、感受性の強い生徒に、優しく接する先生の妻役を演じた。NYで上演した後、全米を回り、56年には同名の映画にも出演した。
結婚は45年。当時英国空軍で飛行隊のリーダーだったアンソニー・チャールズ・バートリーと結婚し二人の娘をもうけたが、59年に離婚。一年後に小説家/脚本家のピーター・ヴィアテルと結婚。スイス・アルプス地方のリゾート地、クロスターズでは池が二つもある大邸宅、そしてスペインのマーベラの別荘で暮らしていた。
遺族は、夫のヴィアテルと二人の娘、そして三人の孫。
『地上より永遠に』でのバート・ランカスターとのドラマチックなキスシーンはあまりにも有名。第二次世界大戦中のハワイで、波が激しく砕け散る中、濃厚なキスを演じた。カーが演じた欲求不満の女性の役は、検閲が厳しい1950年代のハリウッドの限界に挑戦した。
カーは、アカデミー主演女優賞に6回ノミネートされたが、受賞することはなかった。しかし、94年にアカデミー名誉賞を受賞。アカデミーはカーのことを、「完璧な優雅さと美しさを兼ね備えた女優。献身的に仕事に挑み、その姿勢は完璧。規律、エレガンスの象徴である」と称えた。
カーはどんな状況でも、仕事をそつなくこなすと評判だった。
「良くも悪くも、私は監督とけんかをしたことが一度も無いの。ちゃんと考えれば、何かしら方法がみつかるものよ」と、晩年に語っていた。
スコットランドのへレンズバラに生まれたカーは、土木技師で建築家でもある父親と母親の間に生まれた一人っ子。父親は、彼女が14歳の時に亡くなっている。5歳の時に両親と一緒に越したイギリスで、バレエの学校に通い始める。やがてロンドンのバレエ学校に奨学金を得て入学。17歳で「プロメテウス」の舞台に初出演。
やがて演劇に路線を変更。イギリスでは劇団の舞台に立ち、39年の第二次世界大戦の勃発で劇場が閉館になるまで演じていた。
その後も演技を続け、BBCラジオで子供向けの物語を読んだり、舞台や映画に小さな役で登場。43年には映画『老兵は死なず』で3役の女性を演じ、「まったく違う役を見事に演じわけた」と注目された。
46年に『自信売ります』でクラーク・ゲーブルと共演するためハリウッドに呼ばれる。その後、順調にキャリアを重ね、ジョン・ヒューストン、オットー・プレミンジャーやエリア・カザンなど、トップクラスの俳優や監督と仕事をするようになる。
しかし、しおらしい役ばかりが来ることに不満を感じ、スタジオと討論した結果、『地上より永遠に』のカレン・ホームズ役を勝ち取った。陸軍将校夫人でありながら、アルコール中毒症で欲求不満、しかもランカスター演じるワーデン軍曹と不倫をする。その強烈な役は彼女のキャリアの幅を大きく広げた。
その後は、殺人鬼からお姫さま、キリスト教徒の奴隷から修道女まで、様々な役を演じた。『王様と私』では、ユル・ブリンナー演じる、タイの王様の子供たちを教育する女性アンナの役を演じている。
カーが主演女優賞にノミネートされたのは、49年の“Edward My Son”。またそのほかにも 53年の『地上より永遠に』、56年の『王様と私』、57年の『白い砂』、58年の『旅路』、60年の『サンダウナーズ』の合計6作品でノミネートされている。
その他の代表的な出演作では、ケイリー・グラントと共演した『めぐり逢い』がある。
68年の『アレンジメント/愛の旋律』以降は、「いただく役に対して、自分が若すぎるか年取りすぎている」と思ったそうで、女優業から退いていた。性的表現などが露骨だったり、過激な暴力描写があるため断った脚本は何本もあると、AP通信に答えている。
68年の『さすらいの大空』では、ヌードシーンを断ったそうだ。「最近はみんな脱ぐから、と言われたときに、違うと思いました。ヌードシーンはサービスではないのです。ドラマの中で必然性があれば納得したのですが」。
実際にカーは、後にカットされたが、『アレンジメント/愛の旋律』で脱いでいる。「このシーンでのヌードは必要だった。夫と妻がベッドを共有するシーンだから、とても自然だった」と語っている。
カーは後に舞台に戻る。エドワーズ・アルビーのブロードウェイ劇“Seascape”やロサンゼルスでは”Long Day Journey Into the Night”の舞台を踏んでいる。
ブロードウェイのデビューは53年。「お茶と同情」では、感受性の強い生徒に、優しく接する先生の妻役を演じた。NYで上演した後、全米を回り、56年には同名の映画にも出演した。
結婚は45年。当時英国空軍で飛行隊のリーダーだったアンソニー・チャールズ・バートリーと結婚し二人の娘をもうけたが、59年に離婚。一年後に小説家/脚本家のピーター・ヴィアテルと結婚。スイス・アルプス地方のリゾート地、クロスターズでは池が二つもある大邸宅、そしてスペインのマーベラの別荘で暮らしていた。
遺族は、夫のヴィアテルと二人の娘、そして三人の孫。















































