
ノーマン・メイラー氏
「裸者と死者」や「死刑執行人の歌」などの作品で知られる米文豪界の重鎮ノーマン・メイラー氏が、現地時間の11月9日(金)に他界したことを、彼の遺書管理者が発表した。享年84。腎不全のためニューヨーク市内の病院で息を引き取った。
メイラー氏は、「夜の軍隊」などの名作を手がけ、2度のピューリッツァー賞に輝き、つねにその洞察力の深さと情熱、そして独自性で高い評価を得た。
一方、長い月日をかけてメイラー氏は、けんか腰で頭のキレる上流階級というイメージを培ってきた。酒を呑み、ケンカをし、大麻を吸い、結婚・離婚を6回繰り返し、2番目の妻にいたっては、泥酔したパーティーの夜にナイフで(あと一歩で殺してしまうほど)刺した。
9人の子供を持ち、さながらドン・キホーテのようにニューヨーク市長に立候補し、記憶に留めておくには難しい映画を5本製作。ジャーナリズムに手を出し、グライダーで空を飛び、作家のゴア・ヴィダルと大衆を巻き込んで火花を散らし、女性解放運動に反対した。
しかし、米ニューズウィーク誌の評論家であるレイモンド・ソコロフは1968年にこう書いている。「結局のところ、評価されるのは作品だ」。
23年1月31日に、ニュージャージー州のロングブランチで生まれたノーマン・メイラー氏。生まれて間もなく、後に「アメリカの中で最も安全なユダヤ人のための環境」と称した、ニューヨークのブルックリンに移住した。
43年に、ハーバード大学でエンジニアとしての学位を取得。その頃すでに作家になることを決意していたが、すぐに軍隊に召集され、歩兵としてフィリピンへ。ここで、彼の最初の作品である「裸者と死者」のテーマとなる軍隊生活や戦闘を体験する。メイラー氏が仏ソルボンヌ大学院に通っていた48年に、「裸者と死者」は出版された。大きな賞賛を持って迎えられた本書は、瞬く間にベストセラーに。帰国した彼を待っていたのは、次なるヘミングウェイなどの評価の声だった。
瞬く間に手にした名声のもと、メイラー氏は50年代のカウンターカルチャーからも歓迎を受けた。「ぼく自身のための広告」(1959年)に収められた「白い黒人」の中で“ヒップ”について定義した著者は、ビート・ジェネレーションの権威であったジャック・ケルアックとアレン・ギンスバーグを自分と対比させ、自身も創刊を手助けしたヴィレッジ・ヴォイス紙に社会的・政治的記事を投稿した。
51年には「バーバリの岸辺」を、55年には「鹿の園」を出版したが、どちらも読者や批評家たちから暖かい評価は得られなかったが、68年に出版された「夜の軍隊」で、メイラー氏はピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞した。
心臓手術や難聴、膝の関節炎といった病にも負けず、メイラー氏の執筆への情熱は息を引き取る直前まで燃え続けた。今年の初めには、悪魔を語り手に、ヒトラーの初期を描いた“The Castle in the Forest”を出版。また、宇宙についての対話“Oh God: An Uncommon Conversation”が、この秋に出版される。
05年に、メイラー氏は全米図書賞の功労賞を受賞。その席で、大衆が本格小説への興味を失っている、と嘆いた。
「脚本やジャーナリズムを志望する若い作家が増えるにつれて、自分のような作家は過去の遺物になってしまった」と、何度も口にしていた。
葬儀は親族と親しい友人のみで、今週に執り行われる予定。追悼式はニューヨークにて、来月開かれる。
メイラー氏は、「夜の軍隊」などの名作を手がけ、2度のピューリッツァー賞に輝き、つねにその洞察力の深さと情熱、そして独自性で高い評価を得た。
一方、長い月日をかけてメイラー氏は、けんか腰で頭のキレる上流階級というイメージを培ってきた。酒を呑み、ケンカをし、大麻を吸い、結婚・離婚を6回繰り返し、2番目の妻にいたっては、泥酔したパーティーの夜にナイフで(あと一歩で殺してしまうほど)刺した。
9人の子供を持ち、さながらドン・キホーテのようにニューヨーク市長に立候補し、記憶に留めておくには難しい映画を5本製作。ジャーナリズムに手を出し、グライダーで空を飛び、作家のゴア・ヴィダルと大衆を巻き込んで火花を散らし、女性解放運動に反対した。
しかし、米ニューズウィーク誌の評論家であるレイモンド・ソコロフは1968年にこう書いている。「結局のところ、評価されるのは作品だ」。
23年1月31日に、ニュージャージー州のロングブランチで生まれたノーマン・メイラー氏。生まれて間もなく、後に「アメリカの中で最も安全なユダヤ人のための環境」と称した、ニューヨークのブルックリンに移住した。
43年に、ハーバード大学でエンジニアとしての学位を取得。その頃すでに作家になることを決意していたが、すぐに軍隊に召集され、歩兵としてフィリピンへ。ここで、彼の最初の作品である「裸者と死者」のテーマとなる軍隊生活や戦闘を体験する。メイラー氏が仏ソルボンヌ大学院に通っていた48年に、「裸者と死者」は出版された。大きな賞賛を持って迎えられた本書は、瞬く間にベストセラーに。帰国した彼を待っていたのは、次なるヘミングウェイなどの評価の声だった。
瞬く間に手にした名声のもと、メイラー氏は50年代のカウンターカルチャーからも歓迎を受けた。「ぼく自身のための広告」(1959年)に収められた「白い黒人」の中で“ヒップ”について定義した著者は、ビート・ジェネレーションの権威であったジャック・ケルアックとアレン・ギンスバーグを自分と対比させ、自身も創刊を手助けしたヴィレッジ・ヴォイス紙に社会的・政治的記事を投稿した。
51年には「バーバリの岸辺」を、55年には「鹿の園」を出版したが、どちらも読者や批評家たちから暖かい評価は得られなかったが、68年に出版された「夜の軍隊」で、メイラー氏はピューリッツァー賞と全米図書賞を受賞した。
心臓手術や難聴、膝の関節炎といった病にも負けず、メイラー氏の執筆への情熱は息を引き取る直前まで燃え続けた。今年の初めには、悪魔を語り手に、ヒトラーの初期を描いた“The Castle in the Forest”を出版。また、宇宙についての対話“Oh God: An Uncommon Conversation”が、この秋に出版される。
05年に、メイラー氏は全米図書賞の功労賞を受賞。その席で、大衆が本格小説への興味を失っている、と嘆いた。
「脚本やジャーナリズムを志望する若い作家が増えるにつれて、自分のような作家は過去の遺物になってしまった」と、何度も口にしていた。
葬儀は親族と親しい友人のみで、今週に執り行われる予定。追悼式はニューヨークにて、来月開かれる。













































