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60年代のNYアンダーグランドに
思い入れの感じられない伝記もの

ロバート・ケーラー
2008/04/19

●製作:ホリー・ウィーアズマ、アーロン・リチャード・ゴルブ、マルコム・ペタル、キンバリー・C・アンダーソン、モリス・バート 製作総指揮:ボブ・ワインスタインハーヴェイ・ワインスタインボブ・ヤーリ、サイモン・モンジャック 共同製作総指揮:ボリス・マルデン、カーラ・ジャルディーニ、 ミッシェル・クラム、マシュー・ランドン 共同製作:キャプテン・モズナー 監督:ジョージ・ヒッケンルーパー 脚本:キャプテン・モズナー 原作:サイモン・モンジャック、アーロン・リチャード・ゴルブ、キャプテン・モズナー
●出演:シエナ・ミラーガイ・ピアースヘイデン・クリステンセンジミー・ファロンショーン・ハトシーミーナ・スヴァーリベス・グラントイレーナ・ダグラスエドワード・ハーマン、ジャック・ヒューストン、アーミン・アミリ、タラ・サマーズ、メレディス・オストロノム、メアリー・エリザベス・ウィンステッド
●2006年/アメリカ/90分/日本公開2008年4月19日(土)よりシネマライズ他ロードショー
●配給:ファントム・フィルム、AMGエンタテインメント、エイベックス・エンタテインメント

 アンディ・ウォーホルのお気に入り、彼だけの「スーパースター」(そういう題名の彼に関する映画もありました)だったイーディ・セジウィック。彼女のワイルドで、不安定な人生を敢えて描き直してみたのが『ファクトリー・ガール』なのだが、60年代のニューヨーク・アンダーグランドになんか何の思い入れもないんじゃないかと思わせるような、単調な伝記ものになってしまっている。当時のカウンターカルチャー、そのキラキラした輝きと砂を噛むような虚無の両方を体現したのがセジウィックであるにもかかわらず、本作品の監督ジョージ・ヒッケンルーパーは、その当時の時代性や舞台背景に全くの興味がないことは明白で、出来上がってきた映画も基となっている物語から感情を抜き取ったような作品になってしまったようだ。製作最終段階での再撮影や編集もあり、作品は性急に仕上げられてしまったような感をぬぐえない。そのせいかアメリカでは、観客の心をとらえるのも、劇場より、ビデオDVDリリースに頼る結果となってしまったようだ。

心療セラピストに通うアート学生イーディと
神経過敏な芸術家ウォーホルの出会い

 物語の枠組みを構成しているのは、イーディ(シエナ・ミラー)と、ある心療セラピストの間で1970年に交わされた治療のためのインタビュー。枠組みを作り上げていくだけでなく、このインタビューによって、1965年、ボストン・アートスクールの学生であったイーディが、ニューヨークでスポットライトを浴びるようになるまでの動機や想いをはっきりとさせていく手段(ボイスオーバーと編集の両方を使って)としている。映画の前半、友人シド・ペパーマン(ショーン・ハトシー)とのボストンのシーン、彼女はうぶで可愛い少女として描かれているが、実のところは、その頃からすでに大富豪の不良娘として知られていたということである。

 友人チャック・ウェイン(ジミー・ファロン)を従えたイーディは、『ティファニーで朝食を』の主人公ホリー・ゴライトリーをもっと現代的にしたような女性に生まれ変わり、その彼女に用意されたアンディ・ウォーホル(ガイ・ピアース)との出会いは、魔法のように彼女の人生を変えていく。この作品では、ポーランド系アメリカ人としてカトリックに属し、ピカソが自分の名前を知っているだろうかということばかりを気にしている神経過敏な芸術家として描かれているアンディは、イーディのどこか気安い態度と、底知れぬ資金力とのコネに、まいってしまっているように見える。

過激でポップなアメリカ描写より目立つ、
冗漫なシーンの繰り返し

 物語の前半に登場するアンディがニューヨークのダウンタウンに所有していた雑然とし、恐ろしく活動的なスタジオ、ファクトリーでのシーンには信憑性があり、感じが出ている。特に、アンディの不条理な似非西部劇“ホース”にイーディが出演したシーンは効果的である。しかし、キャプテン・モズナー(彼の書いた『ワンダーランド』も同じように問題だらけであった)の手がけた脚本は、ファクトリーの上辺をこするだけに始終し、深いところをえぐることはできていない。

 過激でポップなアメリカを描く旅となる可能性を秘めた本作品なのだが、イーディの、そしてアンディの見せる友情、麻薬への傾倒、そして金銭をめぐっての争いを描くだけの冗漫なシーンの繰り返しで魅力がない。アンディが策略を弄してイーディを感情的に利用したことは明らかなのだが、その時、彼が何を感じていたのかという深い洞察はなされていない。

 そんな2人の間に入ってくるのがシンガーソングライター(ヘイデン・クリスチャンセン)。映画の中では、「ミュージシャン」としかクレジットされていないのだが、有無を言わせぬ魅力でイーディを誘惑する。彼の政治に対する反体制的な態度、ふわふわと膨らんだ髪型、鼻にかかった歌声、どれをとっても、それはボブ・ディランを思わせるものなのだが、記録としてはイーディがディランと恋仲になったという事実はない(この描写に対し、ディラン本人が映画製作者を訴えると脅したと伝えられている)。

 映画最後の映像が示すとおり、セジウィックは、心療セラピーに通うのをやめた一年後、故郷サンタ・バーバラで薬物過剰摂取のために亡くなっている。

純粋な犠牲者イーディに徹するミラーと、
台詞&身体の動きがウォーホル似のピアース

 ミラー扮するイーディは、どこまでも純粋に犠牲者として演じられているが、最終的には泣き言ばかりが目に付き、悲劇のヒロインとなるには、あまりに狭い意味の中でしか描かれていない。また、ピアースの演じるアンディは、顔は似ていないが(『アンディ・ウォーホルを撃った女』で見せたジャレッド・ハリスのほうがよく似ていたし、こちらのほうが良い映画だった)、台詞回しや身体の動きは、ともにぴたりとはまっているように見える。

 カラーと白黒を使用した映像、ウォーホル映画作品(ウォーホルのいわゆる「スクリーン・テスト」も含まれている)の再現とその青白い色合いは、ウォーホル映画そのものに対するオマージュというよりも、撮影監督ロバート・リチャードソンによるマルチフォーマット撮影のためといったほうがよさそうである。最後になるが、セジウィック本人が唯一出演した商業映画『チャオ・マンハッタン』に関して、劇中で何も触れていないのはあまりに不自然である。

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