『フィクサー』
●2007年/アメリカ/カラー/DTS/ドルビースタジオ/SDDS/120分/2008年4月12日から日本公開
●配給:ムービーアイ
●配給:ムービーアイ
リアリティを持ったリーガルサスペンス

(c)2007 Clayton Productions,LLC
法律ドラマは大抵、劇的な法廷場面がクライマックスに置かれる。しかし、現実には、民事案件の多くは、法廷に持ち込まれることなく、弁護士同士の話し合いで解決を見る。裁判は莫大な費用がかかるからである。裁判になっても、判決に至る前に和解などで終わる。判決で負ければ、計り知れない損失を被るからである。
高度資本主義下の大企業は、この種のリスクを最も忌み嫌う。正義やメンツのために裁判を闘って白黒をつけねばならない理由などどこにもない。リスクを回避することのみが至高の手段であり、究極の目的。それが高度資本主義の正体である。その意味で、法廷シーンのない『フィクサー』は、リーガルサスペンスとして、リアリティーを持っている。
マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)は、大手法律事務所の弁護士だが、案件のもみ消しに暗躍するフィクサーとして裏世界に生きている。ある時、マイケルは、巨大農薬会社が抱える公害訴訟のもみ消しを、同僚のアーサーから引き継ぐ。彼が精神の異常をきたしたためだ。淡々と仕事をこなすうち、マイケルは、クライアントの農薬会社に著しく不利な証拠をアーサーが入手していたことを知る……。
高度資本主義下の大企業は、この種のリスクを最も忌み嫌う。正義やメンツのために裁判を闘って白黒をつけねばならない理由などどこにもない。リスクを回避することのみが至高の手段であり、究極の目的。それが高度資本主義の正体である。その意味で、法廷シーンのない『フィクサー』は、リーガルサスペンスとして、リアリティーを持っている。
マイケル・クレイトン(ジョージ・クルーニー)は、大手法律事務所の弁護士だが、案件のもみ消しに暗躍するフィクサーとして裏世界に生きている。ある時、マイケルは、巨大農薬会社が抱える公害訴訟のもみ消しを、同僚のアーサーから引き継ぐ。彼が精神の異常をきたしたためだ。淡々と仕事をこなすうち、マイケルは、クライアントの農薬会社に著しく不利な証拠をアーサーが入手していたことを知る……。
組織の論理といかに折り合いをつけるか?
高度資本主義が個人に押しつけてくる「組織の論理」。これといかに折り合いをつけるか。あるいは、いかに闘うか。折り合いと闘いの分岐点はどこにあるか。分岐点の発見に失敗するとどうなるか。『フィクサー』の直接の主題はここにある。多かれ少なかれ、米国や日本のような高度資本主義社会に生きる人間は、こうした問題に日々直面している。
映画は、巨大企業の陰謀を巡ってサスペンスフルに展開するが、マイケルの私生活にも一定の時間を割いている。彼は妻と別れ、息子ヘンリーの親権を争っている。アル中の従弟ティミーが作った借金の肩代わりにも追われている。いわば八方塞がりの状況だ。
私生活の描写は、メインストーリーとは関係がない。むしろサスペンスの盛り上がりを邪魔しているようにも見える。しかし、この私生活の方に、作品全体を包み込むもう一つ大きな主題がちゃんと入っている。
それは、マイケルとヘンリーの父子がかわす会話の中でさりげなく表明される。アル中のティムを慕う息子に、マイケルが心配して諭す。「お前は心の強い子だ。ティムは若い頃からお前ほど強くはなかった」と。そう、『フィクサー』は、「心の強さ」をめぐる物語なのだ。
映画は、巨大企業の陰謀を巡ってサスペンスフルに展開するが、マイケルの私生活にも一定の時間を割いている。彼は妻と別れ、息子ヘンリーの親権を争っている。アル中の従弟ティミーが作った借金の肩代わりにも追われている。いわば八方塞がりの状況だ。
私生活の描写は、メインストーリーとは関係がない。むしろサスペンスの盛り上がりを邪魔しているようにも見える。しかし、この私生活の方に、作品全体を包み込むもう一つ大きな主題がちゃんと入っている。
それは、マイケルとヘンリーの父子がかわす会話の中でさりげなく表明される。アル中のティムを慕う息子に、マイケルが心配して諭す。「お前は心の強い子だ。ティムは若い頃からお前ほど強くはなかった」と。そう、『フィクサー』は、「心の強さ」をめぐる物語なのだ。
ティルダ・スウィントンの脇の汗
この映画の登場人物は、心の弱い人間と強い人間に分けることが出来る。アル中で借金漬けのティミーや、精神に異常をきたすアーサーは弱い人間に属する(アーサーは強い人間に変わろうとしていたわけだが)。一方、強い人間の代表は、農薬会社の弁護士カレン(ティルダ・スウィントン)である。彼女は組織の論理を冷徹に実践してゆく。マイケルの上司マーティ(シドニー・ポラック)も心の強い側の人間だろう。
高度資本主義下の「組織の論理」は、個人の心という、あいまいでリスキーなものを管理しようとしてくる。弱い人間は早々につぶされ、強い人間もなかなか強さを保ったままではいられない。カレンもギリギリのところで踏ん張っている。トニー・ギルロイ監督は彼女の脇の汗でそれを的確に表現する。彼女が重大な決意をする際の動揺ぶりは、観客の手にも十分な汗をかかせることになる。彼女を「悪」として描いていない分、映画に深い陰影が刻まれることになった。
高度資本主義下の「組織の論理」は、個人の心という、あいまいでリスキーなものを管理しようとしてくる。弱い人間は早々につぶされ、強い人間もなかなか強さを保ったままではいられない。カレンもギリギリのところで踏ん張っている。トニー・ギルロイ監督は彼女の脇の汗でそれを的確に表現する。彼女が重大な決意をする際の動揺ぶりは、観客の手にも十分な汗をかかせることになる。彼女を「悪」として描いていない分、映画に深い陰影が刻まれることになった。
社会派映画の秀作が次々と生まれる理由とは?
では、主人公マイケルはどうなのか。彼は強さと弱さの間に張られたタイトロープの上を歩いている。弱い人間だとは言えないが、ギャンブルに逃避もする。ただ、弱さの側に落ちかけた時、辛うじてバランスを取り戻すのだが、それは、ヘンリーという支えを持っていたからだ、ということが暗示される。ヘンリーの愛読するファンタジー本が、マイケルを強さの側へグイと引き寄せるのだ。
ラストの長回しが、とても印象に残る。一つの仕事を終えたマイケルが、長い長い放心の末、口元にかすかな笑みをたたえる。高度資本主義下で、強さを保ちながら生き続けるのはいかに大変なことか。そしてそれがいかに気高いことか。それを示して、映画は静かに幕を閉じる。
それにしても、このところ、米国では社会派映画の秀作が次々生まれている。イラク戦争での肉体的・精神的疲弊が遠因としてあるのだろうか。ちょうどヴェトナム戦争で疲弊していた1970年代と同じように。
ラストの長回しが、とても印象に残る。一つの仕事を終えたマイケルが、長い長い放心の末、口元にかすかな笑みをたたえる。高度資本主義下で、強さを保ちながら生き続けるのはいかに大変なことか。そしてそれがいかに気高いことか。それを示して、映画は静かに幕を閉じる。
それにしても、このところ、米国では社会派映画の秀作が次々生まれている。イラク戦争での肉体的・精神的疲弊が遠因としてあるのだろうか。ちょうどヴェトナム戦争で疲弊していた1970年代と同じように。











































