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ミイラ取りがミイラになった煽情描写

2008/04/22

●2007年/アメリカ/100分/2008年4月12日から日本公開/R-15
●配給:ソニー・ピクチャーズ エンタテインメント


懸命で痛々しくもあるダイアン・レイン

 ジョージ・ロイ・ヒルの『リトル・ロマンス』から幾星霜、40代のダイアン・レインはいよいよいかした雰囲気である。そもそも私はコッポラの3作や『ストリート・オブ・ファイヤー』のような第一のピーク時より、その後の『愛は危険な香り』以降の、作品選びも脱ぎっぷりも鷹揚な時代の彼女が好きなので、ダイアン・レインが出ていると聞くとついなんとはなしに観に出かけるのであった。その結果、気づけば彼女の出演作はほとんど完走していて(この時期にはなんと当時倒産した日活最後の映画『落陽』という珍品にまで出演していた)、もちろんそういう緩い調子で顔を出す諸作品はとりとめもない感じのものが多かったけれども、時どき『ホワイトハウスの陰謀』や『運命の女』といった面白い作品が紛れていてトクした気分になるのだった。

 そんな、いつものダイアン・レインへの愛着と掘り出し物への期待感を抱えて『ブラックサイト』を観た。いや今回はダイアン・レインのみならず、エドワード・ノートンの怪演が光った『真実の行方』や『悪魔を憐れむ歌』のような異色作を作ってきたグレゴリー・ホブリット監督も嫌いではなかったのでいっそう愉しみにして出かけたのだが、これがところがどっこいの閉口ものであった。といっても、その責は断じてダイアン・レインにはない(それどころか彼女は懸命で痛々しくもある)。

見世物的な殺人描写に透ける制作者の姿勢

 ストーリーは単純で、姿の見えぬサイコ・キラーが自らのウェブサイトに拘束した獲物の人間をさらし、大衆の好奇心からそのサイトの閲覧数が上がれば上がるほど、被害者に生命の危機が迫るという「公開殺人」を仕掛けてくる。その犯人とダイアン扮する女FBI捜査官との対峙が話の軸であるが、物語の多くの部分を占めるのは、獲物ごとに手法を変えて残忍に行われる殺人のプロセスである。これがとにかく陰惨で目を背けたくなる。

 もちろんこの作品には、劇中でいうところの「株価から他人のセックスから公開処刑までを人びとが覗き見する」ネット社会のおぞましさを批判するという意図があるのだろうが、しかしミイラ取りがミイラにではないが、この下卑た見世物的な殺人描写は、まさに煽情性で観客たちを呼び込もうとする意図がありありと見え、不快を通過しもはや苦痛でしかない。クレア・デインズの女性調査官が幼女への性犯罪を追うという似た設定でつい思い出すアンドリュー・ラウの『消えた天使』を観ている時も、その種の陰惨な描写への凝り方が批判意識を転倒させて、どっと疲れた記憶がある。これらの作品を観てうんざりするのは、その残虐さもさることながら、そこにこうした悪趣味な暴力描写、残虐描写でも入れておけばお客が来るのだという制作者の姿勢が透けるからである。

お客へのもてなしの心があるかどうか

 さて『ブラックサイト』の犯人特定はどうするのだろうと思いきや、これも安手のつじつま合わせでシラケるほかなく、ダイアン・レインも定番の「セクシー熟女」を期待したら、やけに疲れていてかわいそうであった(娯楽作なら、いかに暗い内容であれ女優さんのベストショットはいくらか入れてあげるべきだろうに)。いや、安手であれ悪趣味であれ、そのことは問題ではないのである。問題は、その娯楽的な仕掛けや趣向に、お客へのもてなしの心があるかどうかなのだ。こんなエログロでも見せとけば客は集るさ、みたいな考え方は、もてなしの対極にある粗悪さだ。というか、それでは『ブラックサイト』の犯人そのままではないか。

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