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あちこちの文化が混合した煮え切らない物語

トッド・マッカーシー
2008/05/02

●原題:10,000B.C./2008年/アメリカ=ニュージーランド/SR・SRD・DTS・SDDS/シネマスコープ・サイズ/109分/4月26日(土)より丸の内ピカデリー1他全国にて日本公開
●配給:ワーナー・ブラザース映画

 大胆であるべきところは凡庸で、荒っぽく刺激的であるべきところはお行儀が良い。有史以前の物語を想像力豊かに描き出せる、せっかくの機会を逃してしまった、そんな感のぬぐえない作品である。ピラミッドを建造したとされる正体不明の奴隷使い、その悪に手を組んで対抗したであろうアフリカの村々、そして次から次へと襲い来る、今はもう絶滅してしまった巨大な獣たち。あちらこちらの文化的要素をない交ぜにしたような、ありえない想像の世界を、煮え切らない態度で眺めているような作品なのだが、監督ローランド・エメリッヒは、ひとり気を吐き、放っておいたら毒にも薬にもならない作り話を盛り上げるために、大スペクタクル・シーンを放り込むことに成功している。期待感を煽ることにより、登場人物の筋肉同様、稼ぎを隆々と盛り上げることはできるかもしれない。

『アポカリプト』と『300』が呼び覚ました
アクション・アドベンチャーのジャンル

 限界を感じさせないCGIの可能性と、どんな暴力にも耐えるR指定をもってすれば、「エキゾチックな時空間で繰り広げられる一大アクション物語を思いついたら、作ってしまった者勝ちさ」と思えてきそうだ。各映画への個人的な意見は別として、『アポカリプト』や『300 <スリー・ハンドレッド>』が見せた、最高に極端で理屈抜き、どこまでもスタイリッシュで大胆不敵なアプローチが、長い間、休眠状態で、お笑い種でしかなかったジャンルに新鮮な興奮を呼び覚ましてしまったことは、誰にも否定できない。

去勢されたように臆病で、
不自然なまでに“見せる”ことを嫌う演出

 米国での興行成績はさておき、純粋にインパクトについて語るなら、いまの時代にR指定を回避するために、手加減を加えた表現で映画を製作するのは、まったく無意味である。同ジャンルの他作品に比べ、『紀元前1万年』は去勢されたように臆病であり、不自然なまでに“見せる”ことを嫌っているように見え、戦士である登場人物たちの絶対的な残虐性をドラマチックに捉えることができていない。本作は10代のファンたちの根源的で単純な欲求に応えられていないどころか、筋肉質な男性の裸やセクシーな女性の裸体を見せることを避けているようだ。あのメチャメチャなラクウェル・ウェルチ出演作品『恐竜100万年』(1966年)の製作者、そう、あんな子ども向け作品の製作者でさえ、完璧に理解していたはずの基本的な構成要素を、本作は無視している。

 最初の大きな見せ場は、小さな山間の部族の中で、新しいリーダーを決めるために行われる毛むくじゃらのマンモス狩り。このシーンの描写は印象的であり、マンモスも、その名に負けないような姿をスクリーンに見せる。しかし、狩りの終わり方は、あまりすっきりとしない。村人からは臆病者と思われているドレッド・ヘアの青年デレー(スティーブン・ストレイト)は、偶然にもマンモスを仕留めるという手柄を立ててしまうが、用意された2つのご褒美を、良心がとがめるのか受け取ることができない。その褒美とは、最高のハンターだけが持つことを許される村の象徴、白い槍と、彼が長い間、想いを寄せてきた青き瞳の美女エバレット(カミーラ・ベル)と結ばれることである。

過酷な労働、それに続く戦闘シーンを
なめるように捉えた映像は、文句なしに印象的

 『アポカリプト』や『恐竜100万年』でもそうであったように、この作品の軸となるのも、まだ誰もいったことのない土地への長い冒険の旅である。きっかけとなるのは、馬に乗った略奪者たちによる、エバレットを含む若い村人たちの誘拐事件。2人の村人を従えたデレーとティクティク(クリフ・カーティス)は、略奪者たちを追い、雪深い山を越え、木々の生い茂るジャングルを通り抜け、来るものすべてを拒む砂漠地帯にたどり着く。その行程で彼らが遭遇するのは、恐竜と鳥類が祖先を同じくするということを強烈に主張しているような特大なくちばしを持つ飛べない巨大鳥の群れや、研ぎ澄まされた感覚を武器とする検歯を持ったタイガーであったりする。

 物語が進むと、デレーは、同じように奴隷抑圧者の手によって村人を殺されてしまったアフリカ系部族を味方につけることに成功する。行軍には、さらに多くのアフリカ系の砂漠民族が加わり、そびえ立つような建設中のピラミッドに支配された古代都市に着く頃には、かなりの人数が軍勢に加わっていく。

 略奪者たちの好色そうな欲望にさらされながらも、エバレットは砂漠の神と崇められる、『エクソシスト』の中の悪魔のような声を持ち、布で覆われた神に捧げられるために、無事に保護されていた。徐々にではあるが、リーダーとしての自覚が芽生えたデレーは、マンモスとともに巨大な石の塊を運ぶ何千もの奴隷たちも戦いに加わってくれるはずだ、と確信する。過酷な労働、それに続く戦闘シーンをなめるように捉えた映像は、文句なしに印象的である。

視覚効果やロケ撮影のレベルは高いが、
脚本と台詞に工夫が見えず

 それでもやはり、次々と起こる波乱に富んだ出来事のどこを切り取ってみても、エメリッヒ監督は、期待感をあおったり、サスペンスを喚起したりするドラマを注意深く積み上げていこうとする手法を披露していないばかりか、興味もなさそうだ。連続したシーンは、すでにそこにあるものに付け加えられていく、何の特徴もない、もうひとつのブロックに過ぎない。これが起こったら、次はそれ、といった具合で、シーンの設定やニュアンス、何かを引き立てるための捻りや想像的な飾りといったものが欠如している。失笑寸前、気持ちいいだけのエンディングは、あるアフリカ系のピラミッド建設帝国は、トロイと同じ道をたどった、ということを言いたかっただけなのだろうか。

 他民族からなるキャストは、演技力というよりも、見た目だけで印象を残しているように見える。そんな中、ストレイトだけは、コリン・ファレルのような黒い瞳の抜け目なさを少しだけだが、醸し出している。視覚効果の水準は高く、ニュージーランドや南アフリカ、ナミビアで行われたロケーション撮影のレベルも高い。エメリッヒとハロルド・クローサーの担当した脚本にも同じ評価ができるといいのだが、登場人物に比較的、単刀直入な(はっきりいえば、ベタな)英語を喋らせてしまっていて、言語的に優れた特徴を浮き彫りにしようという試みもされておらず、普段は使わないような、ばかげた間違いを披露してしまっている。戦士が、もうひとりの戦士を落ち着かせるのに、「おまえの痛みは、理解している」はないであろう。

 もし、熱のこもった原始的な伴奏があれば、この作品に足りない別世界の情緒を生み出せたかもしれない。そうすれば、クローサーとトーマス・ワンダーによる劇盤スコアが、特段、陳腐に聞こえるような状況を生み出せたかもしれないと思うと残念である。ちなみに、タイトル・クレジットは、10分にも及ぶ。

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