『告発のとき』
●原題:In the Valley of Elah/2007年/アメリカ/121分/カラー/シネスコサイズ/SDR/2008年6月28日(土)より日本公開
●配給:ムービーアイ
●配給:ムービーアイ
イラク戦争は、ワシントンの政策立案者たちにとってイライラの種であるはずなのだが、どうやらハリウッドの映画製作者たちにとっても、そのようだ。本作でも、その流れは変わっていない。戦争に対するアメリカ国内での不満、そして、退役軍人とその家族が払った特別な代償に関する重要な声明になろうと、わざわざ長尺の映画になったのに、『クラッシュ』に続く、このポール・ハギス監督作品は、正統派のミステリー作品にしては深刻過ぎ、芸術性の高い映画にならんとする野望を体現するには、あまりに創造性に欠ける作品となってしまっている。どうやら、ハギスに稲妻が2度落ちることはないようである。去年秋に開催された著名な映画祭での先行上映も、ワーナー・インディペンデントに米国内での大きな興行的な成功をもたらす要因とはならず、若干期待ができるのは、米国以外での収入ということになるのだろうか。
まったく配慮の足りていない、警告のメッセージを伝えるにとどまる
本質的には、本作の語り口(物語自体は、プレイボーイ誌に最初に掲載された、マーク・ボールの報告というかたちの実話にアイデアを得ている)は、ある父親の悲劇を読みあげる壮大な挽歌というよりは、むしろ、ジェームズ・パターソン作のスリラーのようなものになっている。だが、『将軍の娘 エリザベス・キャンベル』などの軍隊もののスリラーに起きるような、安っぽく過度な表現を選ぶことはしなかった。ただ、そうしなかったことで、戦争というものがアメリカの息子や娘たちに深刻な精神的ダメージを与えているんだということを、むやみに知らしめようとして、まったく配慮の足りていない警告のメッセージを伝えるという結果に陥ってしまっている。また、この作品は、湾岸戦争を描いた作品(『ジャーヘッド』)や、現在のイラク戦争を描いた作品(『勇者たちの戦場』、『さよなら。いつかわかること』)などのラインを踏襲しており、よくある陳腐な決まり文句や表面的な映像表現を超えたところにある戦争体験や家族の持つ不安といった真実を捉えることに失敗している。
ヴェトナム退役軍人で元陸軍軍曹、今は、テネシーでトラック運搬業を営むハンク・ディアフィールド(トミー・リー・ジョーンズ)は、フォート・ラッド米軍基地から1本の電話を受ける。彼の息子のマイク(ジョナサン・タッカー)が、部隊はイラクから帰還しているにもかかわらず、行方不明だというのだ。長い間、病に伏せっている妻のジョアン(スーザン・サランドン)と何の話し合いもせぬまま、ハンクは情報を収集するために、そして、息子との再会を願って、ニューメキシコの軍事基地へと車を走らせる。ハンクが基地に着いてみると、マイクの部隊の兵士たちは、そろって口を閉ざし、カークランダー軍警部補(ジェイソン・パトリック)やカーネリー大佐(ジェームズ・フランコ)といった基地幹部も、事件にまったく興味を見せぬ、上司にへつらう官僚的な人間というありさまなのである。
ヴェトナム退役軍人で元陸軍軍曹、今は、テネシーでトラック運搬業を営むハンク・ディアフィールド(トミー・リー・ジョーンズ)は、フォート・ラッド米軍基地から1本の電話を受ける。彼の息子のマイク(ジョナサン・タッカー)が、部隊はイラクから帰還しているにもかかわらず、行方不明だというのだ。長い間、病に伏せっている妻のジョアン(スーザン・サランドン)と何の話し合いもせぬまま、ハンクは情報を収集するために、そして、息子との再会を願って、ニューメキシコの軍事基地へと車を走らせる。ハンクが基地に着いてみると、マイクの部隊の兵士たちは、そろって口を閉ざし、カークランダー軍警部補(ジェイソン・パトリック)やカーネリー大佐(ジェームズ・フランコ)といった基地幹部も、事件にまったく興味を見せぬ、上司にへつらう官僚的な人間というありさまなのである。
殴り倒して答えを探す父親と、徹底的な言葉の攻撃を仕掛ける女性刑事
ハンクは、近郊ブラッドフォードの民間警官のエミリー・サンダーズ刑事(シャーリーズ・セロン)と出会い、彼女からの信頼を徐々に得始めた彼は、マイクが「糞溜めに民主主義をもちこもうとした……(そして)こんな目に遭うなんて」と彼女に話し始める。繊細さを苦手とするハギスではあるが、ここでは、エミリーがどこまでも男性の同僚から追いやられる職場で唯一の女性であるということだけでなく、かわいい男の子(デヴィン・ブロチュ)を1人で育てるシングル・マザーであることも、きちんと描いてはいる。
ある殺人の現場が、軍と地元の警察管轄の境界線にあるとわかったとき、地元の警官は皆、事件の捜査を軍警察任せにしまおうという気持ちになってしまう。反対するのは、ますます疑う気持ちが強くなっているエミリーだけなのである。
映画は、マイクの携帯電話から回収されたひどい内容のビデオクリップを、ハンクが見たときの感情的な現実から次々繰り出され、かなり明らかに人の気をそらせてしまう撹乱情報の間をギクシャクと移行していく。その1つは、マイクと同じ部隊にいたロバート(ヴィクトール・ウルフ)を描く部分なのだが、法外に長い登場時間を使っている上に、結局のところ、アメリカ特有の偏屈さを表面的に描いたものとして積みあがってしまっている。
陰気でむっつりしているハンク、口数が少なく、ともすれば底意地が悪く、冷たく、そして薄情な人間と思われがちな彼は、答えを手に入れるために何人もの人間を殴り倒していく。その一方、エミリーは忍耐強く、カークランダーから彼女の直属上司ブシュワルド警察署長(ジョシュ・ブローリン)に至るまで、彼女の視野に入る官僚たちの1人1人に徹底的な言葉の攻撃を仕掛けていく。
ある殺人の現場が、軍と地元の警察管轄の境界線にあるとわかったとき、地元の警官は皆、事件の捜査を軍警察任せにしまおうという気持ちになってしまう。反対するのは、ますます疑う気持ちが強くなっているエミリーだけなのである。
映画は、マイクの携帯電話から回収されたひどい内容のビデオクリップを、ハンクが見たときの感情的な現実から次々繰り出され、かなり明らかに人の気をそらせてしまう撹乱情報の間をギクシャクと移行していく。その1つは、マイクと同じ部隊にいたロバート(ヴィクトール・ウルフ)を描く部分なのだが、法外に長い登場時間を使っている上に、結局のところ、アメリカ特有の偏屈さを表面的に描いたものとして積みあがってしまっている。
陰気でむっつりしているハンク、口数が少なく、ともすれば底意地が悪く、冷たく、そして薄情な人間と思われがちな彼は、答えを手に入れるために何人もの人間を殴り倒していく。その一方、エミリーは忍耐強く、カークランダーから彼女の直属上司ブシュワルド警察署長(ジョシュ・ブローリン)に至るまで、彼女の視野に入る官僚たちの1人1人に徹底的な言葉の攻撃を仕掛けていく。
レーザービームの焦点のように正確な演技のジョーンズと、 報われない共演者たち
こういった作品の内容のほとんどは、ドラマ的な展開という点では痛々しいほどに見慣れたものである。だが、撮影監督のロジャー・ディーキンスが雄大なパノラマビジョンで描く近代のアメリカ西部の風景はいい気晴らしになるかもしれない。同時に、その風景が強調するのは人々が住み、働く土地の不毛さであり、また、レーザービームの焦点のように正確なジョーンズの演技である。意図的に硬化させた単調さを持つという点で、ほとんど先鋭的と呼んでいいような演技なのである。ディーキンス、そしてジョーンズとも、それぞれが作品にとってなくてはならない重要な一部でありながら、2人はそれぞれ各々の世界で仕事をこなしているようであり、個々の能力と集中力においてほとんど他を圧倒している。
セロンは、勇敢にもスクリーン上でジョーンズに追いつこうと一生懸命なのだが、彼女の演技を見ていると、あれだけ多くいたジョージ・C・スコットの共演者たちのほとんどが折り合いをつけなくてはならなかった、感謝もされない報われない役柄たちを思い出してしまう。パトリックやサランドン、ブローリンのようなベテランの俳優たちが登場しては、ただ消えていってしまう中(本作でもトップレスのバーテンダーを演じ、いつも見事なフランシス・フィッシャーまでも同じ扱いである。もっと使われてもいいと思うのだが)、イラク戦争を経験している新人俳優のジェイク・マクラフリンは、ジョーンズとのシーンの中で、隠された苦痛の世界が存在することを印象的な方法で示唆し、いくつかの優れたシーンを残している。
製作サイドは、どの部門も概ね堅調で、特にローレンス・ベネットの地域をしっかり特定したプロダクションデザインは、評価が高い。ただ、マーク・アイシャムの緊張感がなく陰気な音楽は、もっと大幅に少ないほうが、より大きな効果を生んだかもしれない。これは、楽曲の選択についても同じ事が言える(アニー・レノックスによるエンディング曲も然り)。この作品の変わったタイトル(原題:In the Valley of Elah)は、旧約聖書に記されている「ダビデとゴリアテ」の戦いが行われたイスラエルの土地をほのめかすものなのだが、商業的には障害となってしまうだろう。
セロンは、勇敢にもスクリーン上でジョーンズに追いつこうと一生懸命なのだが、彼女の演技を見ていると、あれだけ多くいたジョージ・C・スコットの共演者たちのほとんどが折り合いをつけなくてはならなかった、感謝もされない報われない役柄たちを思い出してしまう。パトリックやサランドン、ブローリンのようなベテランの俳優たちが登場しては、ただ消えていってしまう中(本作でもトップレスのバーテンダーを演じ、いつも見事なフランシス・フィッシャーまでも同じ扱いである。もっと使われてもいいと思うのだが)、イラク戦争を経験している新人俳優のジェイク・マクラフリンは、ジョーンズとのシーンの中で、隠された苦痛の世界が存在することを印象的な方法で示唆し、いくつかの優れたシーンを残している。
製作サイドは、どの部門も概ね堅調で、特にローレンス・ベネットの地域をしっかり特定したプロダクションデザインは、評価が高い。ただ、マーク・アイシャムの緊張感がなく陰気な音楽は、もっと大幅に少ないほうが、より大きな効果を生んだかもしれない。これは、楽曲の選択についても同じ事が言える(アニー・レノックスによるエンディング曲も然り)。この作品の変わったタイトル(原題:In the Valley of Elah)は、旧約聖書に記されている「ダビデとゴリアテ」の戦いが行われたイスラエルの土地をほのめかすものなのだが、商業的には障害となってしまうだろう。











































