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ママにとっては頭が痛い!
無邪気&大騒ぎがごっちゃ混ぜ

ジョン・アンダーソン
2008/07/03

●原題:Dr. Seuss' Horton Hears a Who/2008年/アメリカ/88分/7月12日(土)より日本公開
●配給:20世紀フォックス映画

(C)2008 Fox, Based on Dr. Seuss characters TM & (C) Dr. Seuss Enterprises.
(C)2008 Fox, Based on Dr. Seuss characters TM & (C) Dr. Seuss Enterprises.
 ホートンの物語、そして人々は、この映画を「ダレダーレ」と呼んでいるけれど、いったい何本の映画なんだろう? そう、これがおかしなことに2本に見えてしまうのだ。ひとつは、やさしくてチャーミングな、どこから見てもドクター・スースの作品と思えるもの。もうひとつは、ジム・キャリーが主演の厚かましくて、人の気持ちを不安にさせるもの。では、そんな作品を誰が見るのか? 誰向けの作品なのか? ということなのだけれど、もちろん、この作品を見るのは、いたいけで幼い少年少女。だとすれば、ママたちにとっては、この上なく頭の痛い作品ということになってしまうだろう。

子どもたちに優しく無邪気な物語と
わけのわからない大騒ぎが混在

 ジミー・ヘイワード、そしてスティーヴ・マーティノ両氏が監督する大がかりで、特殊効果満載のアニメーション映画は、ドクター・スースが、1954年に発表した大人気の絵本「ぞうのホートンひとだすけ」(1970年には、チャック・ジョーンズの手によってテレビアニメになったこともある)をもとにしたものだが、まったくどういうことか、二重人格症に陥っているとしか思えない。CBSのベテラン・アンカーパーソン、チャールズ・オスグッドがナレーションをつとめている部分は、大きな心と大きな耳を持ったぞうが主人公のシンプルな物語なのである。ぞうのホートンは、その大きな耳でダレダーレ国の小さな小さな住人の話し声まで聞くことができる。彼がそこで知るのは、その小さな世界が危機に直面しているということ。という具合に、物語は、まったく無邪気で罪がなく、子どもたちにも優しい。しかし、その部分以外となると、これがまったく話が違う。

 問題は、みんなに愛される原作者ドクター・スース(本名セオドア・ガイゼル)が、映画の長さに見合う物語を書いていないということ。彼の作品の中で最もよく知られる「グリンチ」でも、30分のテレビ・アニメーションを作るのに物語が継ぎ足され、音楽で穴埋めをしなければならなかった。この新作『ホートン ふしぎな世界のダレダーレ』の場合、言ってみれば、人のいいドクターの話に飾りをつける役割は脚本家のシンコ・ポールケン・ダウリオの手に委ねられてしまったというわけだ。そこから出てきたものは、アクション・シーンをくり返していくだけの目的に作られたアクション、漫画的な暴力、そしてなんだかわけのわからない大騒ぎということになってしまっている。

すばらしく楽しい視覚的ギャグを生み出す
本作のスターは、アニメーターたち

 この映画のモットーは、「どんなに小さくても、人間は人間である」というものなのだが(ドクター・スースは、このモットーを使おうとした中絶反対グループを訴えたことがある)、にもかかわらず映画は内容を十分に表現するために、キャリーやスティーヴ・カレルキャロル・バーネットといった「コメディ界の巨人たち」(これは映画会社が使った言葉)の力を借りる必要があったということなのだ。これは非常に厄介な問題で、こういった著名人を声優として起用することが、何百人の専門的な声優たちの職を奪っているだけでなく、そういった有名俳優の名前が、アニメーション映画の興行成績にどれだけ貢献しているかが、なんともはっきりしないという現象を生む。まあ、ジェリー・サインフェルドが『ビー・ムービー』になくてはならない存在であったということには誰しも同意してくれると思うが、本作にキャリーやカレル、バーネットがどれだけ貢献しているかということになると、なんとも答えに窮してしまう。

 この映画の本当のスターは、なんと言っても裏方であるアニメーターということになるだろう。彼らは、茂りすぎてしまったホートンのジャングルにも、ドクター・スース特有のほんわかした感じの息吹を吹き込んでいる。猿のようなウィッカーシャム兄弟が、わきの下からバナナを発射するシーンなどは、テックス・エイヴリー並みのばかばかしさに到達している。視覚的なギャグの多くは、すばらしく、ほんとうにすばらしく楽しいものになっている。

ドクター・スースの世界と暴力的な世界
異質文化を行ったり来たりで、むち打ち状態

 ドクター・スースらしくないセリフの中にも、一級品と呼べるようなものが少しだが存在する(たとえば、キャリー演じるホートンが、カレル演じるダレダーレの市長に言うセリフ、「あのとんま野郎は任せたよ。でも、あっちの頭のおかしい奴は僕に任せて!」など)。しかし、ほぼ全てを過剰にもっていこうとする姿勢は、かえって物語が必要以上に引き伸ばされて、薄っぺらくなってしまっていること、そして、登場人物がすることがなくなると、ただただ暴力的な行為に頼ってしまっていることなどを強調しているだけなのである。

 そんな中、ドクター・スースとして、オスグッドの重厚なナレーションが戻ってくるたびに(それでも、この作品ではオリジナルの「ホートン」の言葉が全て使われているわけではない)、もうまったく異質の文化が繰り広げられて、むち打ち症を起こしそうになってしまうのである。

まってくもってシンクロしない
キャリーの躁病的な演技とアニメーション

 この映画のプロデューサーたちは、キャリーによる『アラジン』を作ろうと試みたのかもしれない。キャリーの躁病的な演技が、1992年に制作されたディズニー映画の中のロビン・ウィリアムズのように、アニメーションにぴったりとシンクロして、観客を椅子から飛び上がらせるほどの効果を生み出すことを期待しているように思える。だが現実は、まったくもってそんなレベルには達していない。

 盛り上がるシーンはまったくないと言っていいのだけれど、ほんとうに笑えるシーンということで言えば、数少ないが存在する。「私の世界では……」と、これは映画に登場する毛むくじゃらの森の生き物の1人が言うセリフ。「みんなが子馬で、虹を食べるとお尻の穴から蝶々が飛び出してくるんだ」。それはもしかしたら見ものかもしれない。

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