『容疑者Xの献身』
●2008年/日本/128分/2008年10月4日(土)から、日劇PLEXほか日本公開
●配給:東宝
●配給:東宝
創る側の面白いものを見せてやろうという
サービス精神が湧き出していたテレビドラマ「ガリレオ」

(C)2008 フジテレビジョン/アミューズ/S・D・P/FNS27社
最近はテレビの連続ドラマを完走するのが本当に難しくなった。私はもう15年もある映画専門誌でテレビドラマ時評を続けているが、各局の新作ドラマが出揃ってスタートしたあたりはひと通りエアチェックするものの、回が進むごとに落伍者続出で、ワンクールの終盤あたりでは何も残っていないことすらある。そんななか、昨秋に毎回早く次が見たいとさえ思わせる例外的なシリーズがあった。それがフジテレビの「ガリレオ」だ。もちろん人気作家・東野圭吾の「探偵ガリレオ」という面白い原作あってのこのドラマなれど、明らかに映像化にあたってのスタッフやキャストの腐心がものを言っている。フジの「月9」枠は長らくやる気のなさそうな企画で低迷していたが、「ガリレオ」は久々に創る側の面白いものを見せてやろうというサービス精神が湧き出していて、すこぶる好感が持てた。
「燃える」、「離脱る」、「騒霊ぐ」、「夢想る」、「予知る」、「霊視る」といった各回のタイトルが示すように、まずは超常現象じみた怪事件が勃発して、それを持て余した刑事課の女刑事・内海(柴咲コウ)が大学理工学部の准教授・湯川(福山雅治)のところへ相談に押しかける。すると、変人呼ばわりされるほど合理主義者でオカルトなど全く否定的な湯川は、その超常現象を科学的に解決してみたいという衝動に駆られ、本来の研究もそっちのけで捜査に協力する……これがお定まりのパターンだ。
「燃える」、「離脱る」、「騒霊ぐ」、「夢想る」、「予知る」、「霊視る」といった各回のタイトルが示すように、まずは超常現象じみた怪事件が勃発して、それを持て余した刑事課の女刑事・内海(柴咲コウ)が大学理工学部の准教授・湯川(福山雅治)のところへ相談に押しかける。すると、変人呼ばわりされるほど合理主義者でオカルトなど全く否定的な湯川は、その超常現象を科学的に解決してみたいという衝動に駆られ、本来の研究もそっちのけで捜査に協力する……これがお定まりのパターンだ。
シリーズの、2つの面白さのエレメント
面白さのエレメントはいくつかあって、まずはもちろん不可思議な難事件がどのような快刀乱麻のロジックで解明されてゆくのかという興味だ。人間が発火したり、本来障害物があって見通せない風景が目撃されたり、死体を床下に埋めたらポルターガイストが発生するようになったり、来るべき殺人が予知されたり……といった興味津々の怪現象が、湯川の推理でごくごく科学的に謎解きされてゆく。この痛快さに加えて、もうひとつの魅力は主人公の湯川と内海の関係であって、クールでシャイな湯川と直情径行な内海のギャップが生むおかしさ、あるいは内海の影響で徐々に湯川の性格が変わってゆくあたりの面白さである。
そして今ひとつ、これは倒叙法(つまりは先に読者に犯人をバラしてから推理を展開するミステリのスタイル)ならではの魅力だが、毎回さまざまなタイプの犯人の人となりが描かれ、彼らの野望、怒り、焦りなどキャラクターとしての独特さがせり出してきて惹きつける。毎回さまざまなセレブリティが登場し、謎のトリックに加えて鼻持ちならぬ彼らの虚栄を描いた「刑事コロンボ」も、ここが大いなる魅力だった。唐沢寿明の犯罪マニアや深田恭子の邪悪な主婦などとりわけ印象的だったが、最終章の東京を吹っ飛ばそうとする孤独な天才学者に久米宏を起用したアイディアには膝を打った。
そして今ひとつ、これは倒叙法(つまりは先に読者に犯人をバラしてから推理を展開するミステリのスタイル)ならではの魅力だが、毎回さまざまなタイプの犯人の人となりが描かれ、彼らの野望、怒り、焦りなどキャラクターとしての独特さがせり出してきて惹きつける。毎回さまざまなセレブリティが登場し、謎のトリックに加えて鼻持ちならぬ彼らの虚栄を描いた「刑事コロンボ」も、ここが大いなる魅力だった。唐沢寿明の犯罪マニアや深田恭子の邪悪な主婦などとりわけ印象的だったが、最終章の東京を吹っ飛ばそうとする孤独な天才学者に久米宏を起用したアイディアには膝を打った。
面白さの工夫が重層的にコーティングされている
——と、こんなふうに面白さの工夫が重層的にコーティングされている「ガリレオ」は、知的なウィットに満ちた快作であったが、これが映画になるというとかなり心配ではあった。「踊る大捜査線」にしても最初のテレビシリーズは軽快で機知に富んで相当面白いのに、映画版となるとどれも血圧高い派手さに訴えてつまらなかった。はて映画版「ガリレオ」もとい『容疑者Xの献身』の出来やいかに? とこわごわ試写に出かけたが、これは「ガリレオ」シリーズ初の長篇にして直木賞受賞作の「容疑者Xの献身」を原作にしていた。
開巻早々、湯川の何やら大がかりな実験でドハデな爆発が起こり、「うわ、またこういうことか」とうんざりしかかった私は、ほどなくして顔をマフラーでぐるぐる巻きにした石神こと堤真一が出勤前に靖子(松雪泰子)の弁当屋に立ち寄るあたりで逆に意外な気分になった。これはドハデどころか、テレビの「ガリレオ」よりも地味な物語ではないか。
開巻早々、湯川の何やら大がかりな実験でドハデな爆発が起こり、「うわ、またこういうことか」とうんざりしかかった私は、ほどなくして顔をマフラーでぐるぐる巻きにした石神こと堤真一が出勤前に靖子(松雪泰子)の弁当屋に立ち寄るあたりで逆に意外な気分になった。これはドハデどころか、テレビの「ガリレオ」よりも地味な物語ではないか。
実質的な主役は、堤真一と松雪泰子であるに違いない
「大きな映画」にすることを課して失敗した『踊る大捜査線』に対し、『<容疑者Xの献身』は予想に反してごく「小さな映画」をこそ目指しているのであった。今回は別段鬼面人をおどすような奇異なる事件が起こるでもなく、とあるつつましいアパートに暮らすけなげな母と娘が、あらくれの元の夫につきまとわれ、暴力をふるわれ、必死の抵抗を試みるうちに殺してしまう。いつも通り犯人は明かされるが、今回は天才科学者でもなんでもなく、水商売から足をあらって良心的な弁当屋としてけなげに再出発した平凡な母親である。彼女自身には、犯罪を隠すための知恵も度胸もないが、薄いアパートの壁ひとつ隔てた隣人の石神が天才数学者で、騒ぎをききつけた彼は意外なかたちでこの事件に絡んでくる。つまり彼は、あかの他人である悲劇の母娘を助けるために、ある頭脳プレーで絶対崩れないアリバイを提供する。
湯川の大学時代の友人で将来を嘱望されていたが、家庭の事情で大学を去り、今はしがない数学教員をやりながら、こつこつと数学の研究に耽溺している石神。この孤独にくたびれて厭世的になっている野の遺賢を、堤真一が『クライマーズ・ハイ』の気を張った感じとはまるで対照的なムードのもと、大変な入れ込みようで演じている(堤の出世作である映画『〈39〉刑法第三十九条』の凄みを思い出した)。また、こちらも喧騒と誇張に満ちた『デトロイト・メタル・シティ』の芸能プロ女社長の時とはまったく対照的に、聖母のような慈愛の表情を見せる松雪泰子は、役にはまりきった美しさで魅了する。
湯川の大学時代の友人で将来を嘱望されていたが、家庭の事情で大学を去り、今はしがない数学教員をやりながら、こつこつと数学の研究に耽溺している石神。この孤独にくたびれて厭世的になっている野の遺賢を、堤真一が『クライマーズ・ハイ』の気を張った感じとはまるで対照的なムードのもと、大変な入れ込みようで演じている(堤の出世作である映画『〈39〉刑法第三十九条』の凄みを思い出した)。また、こちらも喧騒と誇張に満ちた『デトロイト・メタル・シティ』の芸能プロ女社長の時とはまったく対照的に、聖母のような慈愛の表情を見せる松雪泰子は、役にはまりきった美しさで魅了する。
平凡な日常にふとわき起こった一種の超常現象が事件の原点に
本作にあっては、湯川も内海もむしろ狂言回しであって、むしろ実質的な主役は堤真一と松雪泰子であるに違いない。石神はほとんど接点のなかった靖子とその娘・美里をどうしてそこまで献身的に庇おうとするのか。そして、事件をカムフラージュするためにいったいどんな手口を使ったのか。それがこの映画の2大ミステリーだが、未見の読者のために詳しくは書くまい。迷惑にならぬ程度に書くとすれば、「ガリレオ」シリーズはこれまでトリックを超常現象のせいにすることは一度もなかったが、今回は突飛さのない平凡な日常にふとわき起こった一種の超常現象が事件の原点であるとも言えるだろう。湯川はトリック自体は解明したが、石神がなぜそこまでやってしまったのかという動機に関してははなはだ不合理なものを感じたはずだ。それはきっと、われわれ観客とて同じ感想を持つことであろうが、しかしそういうファンタジーもいいのではないかと思わせるところが、この「小さな映画」の美徳に違いない。











































