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飛行好きの監督により愛情を込められた作品
だが、物語はバニラ味

トッド・マッカーシー
2007/11/17

●製作総指揮:フィリップ・ゴールドファーブ 製作:ディーン・デヴリン、マーク・フライドマン 監督:トニー・ビル 脚本:ブレイク・エヴァンス、フィル・シアーズ、デイヴィッド・S・ワード 撮影:ヘンリー・ブラハム プロダクション・デザイナー:チャールズ・ウッド 音楽:トレヴァー・ラビン
●出演:ジェームス・フランコマーティン・ヘンダーソン、デイヴィッド・エリソン、ジェニファー・デッカー、ジャン・レノ、ライラー・ラビーン、アブダル・サリス、フィリップ・ウィンチェスター、ダニエル・リグビー、バリー・マッギー
●2006年/アメリカ/139分/2007年11月17日よりシアターN渋谷、ユナイテッドシネマ豊洲ほか全国にて日本公開
●配給:プレシディオ

 『フライボーイズ』は、第一次世界大戦史の中の印象的な一節を昔ながらの少年たちによる冒険譚に込め、まだアメリカが戦争に参加する以前、フランス人たちと空を飛んだ新進気鋭のアメリカの若者たちの姿を描いている。十代の頃にパイロットの免許を取得した監督トニー・ビルの手によって、愛情を込め、豊富な知識で作られたこの作品ではあるが、軽やかながら、エアブラシで描かれたような薄っぺらさに始終してしまっている。荒々しい空中戦や避けることのできない死を扱っているにもかかわらず、厳粛さや共鳴できるところは極端に少ない。飛行機ものの映画が好きなファンや漫然とした好奇心の持ち主くらいは、劇場に足を運ぶかもしれないが、このMGM配給(注:米国内)作品に大量動員は見込めないだろう。少なくとも劇場には無理である。

現代的に消毒された時代描写

 この映画では、ひとっ子一人、たとえフランス人であろうとも、タバコを吸う人間は出てこない。そのことからも、この映画が描く戦争は、現代の消費動向にあわせて滅菌消毒されてしまっていることがわかるであろう。1958年に制作され、同じ部隊を描いた作品、ウィリアム・ウェルマン監督の『壮烈!外人部隊』には、タブ・ハンターによって演じられたアメリカ人側の主役がフランス人娼婦に入れ込んでしまうところまで描かれているのに、この映画の恋愛対象となると、貞淑な乙女が、彼女の亡くなった兄が残した遺児たちの面倒を見ている程度となってしまっている。

戦士の美学や哲学を掘り下げず、
爽快さに徹した人物描写

 第一次大戦の飛行機にまつわる主要なハリウッド映画は、ほとんどが1920年代後半から、30年代初頭に生まれている——ウェルマン監督の『つばさ』『空行かば』、ハワード・ホークス監督の『暁の偵察』、ハワード・ヒューズ監督の『地獄の天使』、そしてウィリアム・ディターレ監督の『最後の偵察』(この作品の評価が低かったのは解せない)——それら代表作が謳いあげるのは戦う者が持つ悲惨な運命であり、制服に包まれた最も優雅な存在でありながら、飛び立ったが最後、数週間後には多くが死に行くことを受け入れている様である。空を行くものはみな美しいほどに平然とし、酔いどれた騎士であり、失われた世代の伊達男たちだったのである。ベテランのパイロットたちは、けっして新参者に話しかけようとしなかった。彼らの多くが早晩、死んでいってしまうことを知っていたからである。

 この、ブレイク・エバンス、フィル・シアーズ、そしてデイヴィッド・S・ワード(彼は、『スティング』の頃からの監督ビルの同僚)による脚本にも、そういった部分への触りが出てくるには出てくるが、チェックリストに挙げられたものをなぞっているだけのようで、ある美学を形作るとか、若く、それゆえに少しだけ悲しい人生の哲学の一因となるようなところまで掘り下げていない。脚本自体が、うまくまとまってはいるが、型にはまったものになってしまっている。『フライボーイズ』は、そういった冒険者たちに対して90年の敬意を表す作品として作られているのだろうが、心身爽快、やる気満々なだけで、物語の持つ真の勇気や悲劇性への最低限の手掛かりまで打ち消してしまっている。

監督の思いが存分に表れた飛行機部隊の姿

 1916年、寄せ集めのアメリカ人の小さな一隊は、思い思いの理由を胸にフランスへとやってきていた。ブレイン・ローリングス(ジェイムス・フランコ)は単純明快なテキサス人。彼の家族は、持っていた牧場を失ってしまったばかり。ウィリアム・イェンセン(フィリップ・ウィンチェスター)は、兵士である父を持つ。ブリッグス・ローリー(テイラー・ラヴィーン)は、意気地のない、いい所のぼんぼん、男になって帰る必要がある。ユージン・スキナー(アブドール・サリス)は、国籍離脱をした黒人ボクサーで、フランス人からの対応に気を良くしている。そしてエディー・ビーグル(デイヴィッド・エリソン)は、ミステリアスな過去を持つ変人、といった具合である。

 瀟洒な城に落ち着いた彼らは、セノー機長(ジャン・レノ演じるこの人物、うわべ以上にシャルル・ドゴールそっくりに描かれている)の庇護のもと訓練を始め、カリスマ的な部隊長リード・キャシディ(マーティン・ヘンダーソン)へは、逆に距離を置いていく。飛行機を飛ばすことの極々仔細な部分を伝えようという監督ビルの思いも、このくだりでは存分に発揮されている。複葉機とは、いくつかの筋交いとワイヤーに引っ張られた布切れで作られただけのガタガタで壊れやすい存在であり、操縦をしようにも言うことを聞かず、機銃はしばしば弾詰まりで故障を起こし、飛びながら機銃の照準を合わせることなど神業に近く、その上、軍がパイロットよりも飛行機そのものを大事にしているため、パラシュートを装備していなかったという曰くつきのものであることを説明している。

好感が持てる恋愛劇 
でも見所は巧みな飛行機戦闘シーン

 空中での冒険話を主軸にしていても、飛行任務の話ばかりではいけないわけで、任務の継ぎ目には地上での物語も盛り込まれている。後半に行くにしたがって、地上での物語は迫り来るドイツ軍の脅威におびえながらも子供と一緒に農園を守る、美しいルシエンヌ(ジェニファー・デッカー)と、彼女たちに子犬のように献身的になっていくローリングスの姿に焦点が当てられていくようになる。彼らの間で繰り広げられる、お決まりのシーンの数々も演じる俳優たちの魅力で何とか見られるものになっている。それにもうひとつ、二人が互いの喋っている言語を一言も理解していないことがあり、それをゆっくりと補い合っていくことも好感の持てるひとつの理由だろう。

 とは言っても、見てもらいたいアクションシーンは空の上で起きているものであり、実際の記録映像と広範囲に及ぶCGIをうまく合成させ、宇宙戦争ものやビデオゲームでよく見られるようなダイナミックで複雑なアクションシーンを作り上げている。ここまでのものが、第一次大戦もので使用されるのも今までにないことである(例外的に少しだけ『アビエイター』で使用されていたが)。幕間はたくさんあるのだが、空を飛ぶ6機のどこまでが実際の飛行機で、どこからがコンピューター映像なのか見極めることは不可能で、たぶん、グラグラと揺れる飛行機から、前を飛び、動く敵機に照準を合わせ、正確な一発を発射する様が、これほどまでにうまく描かれていたことも、これまでにはなかったことだと思われる。

騎士道精神の楽しみも、
現代っ子には通用せず

 映画は、編隊同士が入り乱れる空の戦いも見せてくれる。そんなときでも、監督ビルは敵同士の間にある騎士道精神と尊敬の念を大切なものとして描いていみせる。映画の中、最も気持ちが逆なでされるシーンは、そういった飛行機乗りとしての暗黙の行動規範が、ドイツ側敵機のボスによって破られ、ないがしろにされるシーンである。

 しかし、このジャンルのそういった微細な楽しみも、いまどきの若い観客にはあまり意味のないものだろう。まして、バニラ味のソフトな物語では、戦争に関係のない人々が何度も足を運ぶとも思えない。ノスタルジアは決して不快なものではないけれど、タフな心構えということでは、戦争直後に人々が愛した痛烈なエンタテインメントの遠く足元にも及ばない。

フランコの魅力は笑顔にあり

 フランコが映画の前半でくり返すジェームス・ディーンのような世をすねたようなポーズは、演じる役の傷ついた心を隠すためにわざと粗野にしていることは理解できるが、彼が一番光り輝くのは、やはり笑顔を見せ、他人に愛想良くしているときであろう。フランスで舞台女優として活躍しているデッカーは女性として魅力的で確かな演技を見せている。サリスはとにかく、部隊の中でも最初に飛ぶことの魅力に魅せられたはみだし者を演じ、感性豊かで快活な魅力を振りまいており、ヘンダーソンも任務以外の恋の危険に身を躍らせる役を楽しんで演じている。

 撮影はイギリスで行われ、信頼にたる裏方部隊のおかげで、映像そのものはきれいな仕上がりとなっている。

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