ヘッダーの始まり

グローバルナビゲーションの始まり
ホームニュース特集インタビュー動画コラムレビュー(選択中)ランキングフォトギャラリーピックアップ
最新映画情報V ブログ教えて!エンタ業界転職情報フロムジャパンV プラスメールマガジンプレゼント映画データベース
パンくず式ナビゲーション

切実さの定番を突き抜けた寛容なるおかしみ

2007/11/30

●監督・脚本・主演:小林政広 主題歌:「愛の予感」(詞・曲・歌:小林政広)
●出演:小林政広、渡辺真起子
●製作・配給:モンキータウンプロダクション
●配給協力:バイオタイド
●2007年/日本/35mm/102分/2007年11月24日よりポレポレ東中野ほか順次全国日本公開
(c)2007 MONKEY TOWN PRODUCTIONS

極限的な日常のなかで起こる
些事のみを描き続ける

 食って、働いて、寝る。この単調で気の遠くなるような反復が続く室内と、その主舞台である凍てつく町の従業員寮と民宿をかねたような建物の外観を眺めていると、子どもの頃に観た映画の記憶が蘇ってきた。『オスロ国際空港 ダブル・ハイジャック』のキャスパー・リード監督が撮った『イワン・デニーソヴィチの一日』(71)である。この余りにも有名なソルジェニーツインの原作をもとにした映画は、派手な色味を排除して文字通り凍えたトーンに貫かれた『愛の予感』とは異なって、意外にも古い原色図鑑的な鮮やかさに満ちた作品だったように記憶するが、強制収容所の極限的な日常のなかで、起床時から消灯時までに起こる些事(といっても過酷で命がけの)のみを描き続けるところ、そしてそれがなぜかむしょうにもっと観たいという意欲と緊張感をかきたてるところに共通するものを感じたのだろう。もっとも『イワン・デニーソヴィチの一日』は子ども時分に観ただけだから、いま観れば『愛の予感』の方法的緊張とは比べるまでもないただ平凡によく出来た映画に過ぎないのかもしれないが。

荒涼とした魂の収容所のような映画に
おぼえるごくごくうっすらとおかしみに近い感情

 そんなことをつらつら考えながら観ていたら、主人公の順一(小林政広)が狭い自室でめくっているのが、たぶん新潮文庫版の「イワン・デニーソヴィチの一日」のようで、この個人的な符合がちょっとおかしかった。おかしかったといえば、この荒涼とした魂の収容所のような映画に、ごくごくうっすらとおかしみに近い感情を感じ続けていた私は不謹慎だろうか。いや、あながちそうでもないのではと思う。その微量のおかしみを端的に感じさせるのは、冒頭の娘を殺されて失意と怒りに強張った順一の顔と、本作で描かれる長い長い単調な日常を経た後の、現在の順一の顔が、対比される結末の一瞬である。このラストカットの一種武装解除しきった順一の表情は、どこか間抜けでさえある。そもそも自らを不幸の底に陥れた加害者の母親(渡辺真起子)に「あなたなしでは生きられない」ということになってしまっているのだから、始末に終えない。しかし、その意外で間抜けで移ろうものが人生なのではないかと、このラストカットの監督自身のクロースアップが私にやんわり問いかけてくる。

そこはかとない諧謔によって回避される
主題と方法の収縮

 おそらくあまり数多くの映画を見ていない観客たちが、この執拗かつ単調に日常のアクションの描写を反復する本作の手法に驚いているようだ。だが、小津なりブレッソンなりをひと通り観ていれば、かかる方法的な試みは実はそう珍しくはないし、こうしたやり方で非情な人生を描くのは極端にいえばある方向での定番とさえいえなくもない。もっとも、そういう方法意識で踏ん張り続けて1本の作品を仕上げるには相当禁欲的な厳格さを必要とするので、それだけでもある程度の評価によって報われるべきではあろう。だが、いかに高い意識で奮闘されても、それが定番の圏内で行われるとすると、撮る側も観る側もガマン大会のようになってつまらない。実は、本作の開巻後15分ほどして、作品を貫く表現のスタイルがおおむね見えたときに、これはくだんのガマン大会になるのではと一瞬危惧した。だが、観続けるうちに、小林監督がじわじわとその種の収縮を避けようとしているのが伝わってきた。寒地の工場労働者をストイックな手法で描いている点で本作と似た匂いを感じなくもないアキ・カウリスマキの秀作『マッチ工場の少女』がそうだったように、その主題と方法の収縮は、そこはかとない諧謔によって回避される。

人生=世界をとらえようとする 小林監督の広角の視座

 文字通り人生の辺地に追いやられた不幸の極北の二人が、プリペイド式携帯の遣り取りをもってかすかに交流しあう過程などは、ほとんど不器用な思春期の子どもに近いどうしようもなさである。だが、小林監督は無為な深刻さに旋回するのではなく、そんなとんでもない矛盾と気まぐれに満ちた人生を愛情をもって許容しようとする。私が本作を素晴らしいと思うのは、したがって方法意識の強靭さというよりも(つまりガマン比べの王者としてではなく)もうひとまわりふたまわりでかいところから人生=世界をとらえようとする小林監督の広角の視座ゆえのことである。

 その監督の視座の玄妙さは、俳優としての表情にもじゅうぶんに確認できるだろう。対比される硬直と弛緩の顔は、図太いのか卑屈なのかにわかには断じ難い、つくづく味のある表情だ。意地悪くいえば、そこには小林政広のタヌキぶりが見てとれるわけだが、しかし自在で寛大で幻惑的なタヌキぶりこそ優れた映画監督に求められる最大の資質ではないかと思う。

BOOKMARK Yahoo!ブックマークに登録 livedoorクリップに登録 Buzzurlにブックマーク はてなブックマークに登録   E-MAILメールで送る   PRINT印刷する


パンくず式ナビゲーション
広告エリアの始まり

フッターナビゲーションの始まり
フッターの始まり