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不意打ちはナチュラルな空間でこそ絶大な効果をもたらす

2007/12/30

転々
●監督・脚本/三木聡 エグゼクティブプロデューサー/甲斐真樹、國実瑞恵 原作/藤田宣永 音楽/坂口修 撮影/谷川創平 照明/金子康博 録音/瀬谷満 美術/磯見俊裕 コスチュームデザイン/勝俣淳子 編集/高橋信之 記録/増田実子 
●出演/オダギリ ジョー三浦友和、小泉今日子、吉高由里子、岩松了、ふせえり、松重豊、岸部一徳、笹野高史、石原良純、鷲尾真知子、広田レオナ
●配給/スタイルジャム  
●2007年・日本・35mm・アメリカンビスタ・DTSステレオ・カラー・101分・11月10日より日本公開 tokyosanpo.jp

緩和された観客の選別

 これまで私は、三木聡のいい観客ではなかった。笑いのセンスの有無で観客を選別しているようなのがどうも馴染めなかった。「三木の小ネタを面白がることが感度のいい人間の証し」という作り手と受け手の共犯関係。センスのない私などは、いつも苦々しい排除感を味わわされた。
 そんな状況は、笑いの天才の周辺でしばしば見られる。ダウンタウン松本人志もそう。観客に対し、笑いのセンスを暴力的に問うてくる。一般人の側に立った浜田雅功のツッコミで多少緩和されるが、『大日本人』など浜田がいないと暴力性が剝き出しになる。
 三木の作品にも「脱力の暴力」とでも言える観客の選別があった。しかし『転々』ではそれが大幅に緩和されている。中年男(三浦友和)と大学生(オダギリジョー)が東京を歩くロードムービーの背景にあるのは、先鋭的な笑いのコロッセウムではなく、どんな観客をも優しく包み込む空間だった。

映画を現実の風景に溶け込ませる
三浦友和の存在感

 優しさの源は何か。私には三浦友和の存在が大きいと思う。最近、三浦の活躍は著しいものがある。山下敦弘行定勲ら若い作家が好んで彼を起用している。ただし彼は「女王陛下の草刈正雄」のように若い作家にイジラレたり、ミスマッチ感で使われているわけではない。きちんと役者として遇されている。
 今回の役は容貌も行動もポップに弾けている。しかし、三浦が演じることで、単に笑いを取るために作られた人工物ではなくなり、現実の風景の中にリアリティーを持って溶け込んでいる。オダギリだけでは先鋭化するところ、三浦が、ダウンタウンにおける浜田の役割を果たしているのではないか。

繊細な社会観察をベースにした
不意打ちの笑いの発展形

 三木の作品を改めて見ると、彼の笑いは、繊細な社会観察から成り立っていることが分かる。美味しそうな焼鳥を買って食べるとそれほど美味しくないとか、着色料を食べ始めてからの方が人間の寿命は延びているとか。
 私が最も笑ったのは、手を差し出すオダギリに子犬が駆け寄る場面だ。子犬は彼の横を猛スピードで通り過ぎるのだ。子犬のスピード感といい、オダギリの表情といい、寸分の狂いもなく構築された見事な笑いだった。

 常識を細かく観察し、常識に沿って観客が導く予見を、先回りして微妙にずらす。その不意打ちが三木の笑いの原動力なのだ。不意打ちは、人工的な笑いのコロッセウムで起こるより、『転々』のようにナチュラルな空間の方が絶大な効果をもたらす。

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