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嫌味なほどの肉体主義と異質な言語を操る人間観察ドラマ

トッド・マッカーシー
2008/01/23

●製作:ポール・トーマス・アンダーソン、ジョアン・セラー、ダニエル・ルピ 製作総指揮:スコット・ルーディン、エリック・シュローサー、デイヴィッド・ウィリアムス 監督・脚色:ポール・トーマス・アンダーソン 原作:アプトン・シンクレア「石油」
●出演:ダニエル・デイ=ルイスポール・ダノ、ケヴィン・J・オコナー、キアラン・ハインズ、ディロン・フリーシャー、シドニー・マッカリスター、デイヴィッド・ウィリス、デイヴィッド・ワーショフスキー、コルトン・ウッドワード、コリーン・フォイ、ラッセル・ハーヴァード
●2007年/アメリカ/158分/2008年GW日本公開
●配給: ウォルト・ディズニー・ジャパン

 大胆で、そしてすばらしく奇妙な『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、ポール・トーマス・アンダーソン監督作品でありながら、彼の作品群からの脱却を見事に果たしている。これまで地元ロサンゼルスに固執し、現代的なアンサンブルキャストで賞賛を受けてきた脚本家であり、監督でもあるアンダーソンが今回挑んだのは、ぴんと張り詰め、前に進むにつれどんどんと予断を許さなくなるような人間観察を主とした作品である。それも、主人公は19世紀末、中央カリフォルニアを根城にした油田発掘人。この、パラマウント/ヴァンテージ/ミラマックスの共同製作作品が2時間半以上もの長尺で、インディ臭のぷんぷんする男だらけのアメリカ版アート映画であり、高尚な観客以外には売り込むことが難しいと昨今証明されてしまっているものであることに、いまさらとやかく言ってみても始まらないだろう。配給会社は大きな賭けに出ることになり、映画自体と卓越したスター、ダニエル・デイ=ルイスが、映画を必ず観なくてはと思わせる雰囲気を作り出してくれることに一縷の望みをかけるのみである。

『市民ケーン』のような、反社会的な人間を観察するドラマ

 今回初めて小説を脚色したことになるアンダーソンであるが、原作である1927年のアプトン・シンクレアの小説「石油」に触発された部分は大まかなところだけであったようだ。作品が小説の概説を裏切っているところは少ないが、社会主義者であるシンクレアのスキャンダルを暴こうとする性質を踏襲しているところはほとんどない。むしろ触発されたのは、その言葉であり、前進するアメリカを背景とした産業と宗教という対となる要素であり、そして何よりも、他者とのつながりを自らの意志で叩き壊していく極端な反社会的人間を顕微鏡を覗き込んだような、ほとんど取りつかれているのではと思わせるような人間観察を作り上げたところなのであろう。

 『市民ケーン』に少しだけ似ているのかもしれないが、このテーマは大作映画を作り上げるには、奇妙なものであると言わざるを得ない。特に作品の終わり方の極端さを見ればなおさらである。なぜ、アンダーソン監督が、これほどまでの熱意を持ってこの話題を掘り下げようとするのか、それは誰にも分からない、彼の個人的なものなのだろう。しかし、そこまでやるかというほどの彼の取り組みは、このありきたりの商業映画世界の中、やはり尊敬されるべきものである。デイ=ルイス演じるダニエル・プレインビューは根っからの反社会的で、悪意に満ち溢れた男なのだ。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』は、そんな、関わる人間すべてを、そして自身の過去とも縁を絶とうとする男の内面をひっかき、薄皮をはぎ、掘り下げようという作品なのである。

農業から工業へ切り替わる時代のアメリカで成功を掴む男

 電子音が、ほとんど耐えられないようなピッチで鳴り響く中始まる映画の冒頭15分間には、ほとんどセリフらしいセリフが出てこない。1898年、ダニエルは懸命に銀や金を掘る。そしてだんだんと石油採掘に没頭していく。1911年になるころには、彼もまずまず男を上げている。妻はいないが、息子として育てる子供がいる。田舎に石油が豊富に眠っているという情報を手に入れ、スタンダード・オイル社も手をかけ始めていることを耳にしたダニエルは、信心深い農家のサンデー一家にうまいことを言って近づき、とんでもない安価で掘削権を手に入れ、敷地内に油田掘削装置を建ててしまう。それが大当たりをして、彼は大金持ちになる。

 この冒頭の部分で、特に際立っているのは、その嫌味なほどの肉体主義であり、言語的な異質さであり、劇版音楽の度を越えたオリジナリティを持つ楽曲である。テキサス州マルファを中心に撮影された(あの『ジャイアント』も『ノーカントリー』も、この土地で撮影されたものである)本作品は、黒い金と呼ばれる原油を手に入れるために費やされる、リスクが高く、危険をともなう労働を、鮮烈に、そして腹の中を抉り出すように描いたものである。機能的であるが間に合わせの建物、そこかしこに放り出された器具が、乾いた土地のイメージに傷跡のような美しさを加える。ジャック・フィスクのプロダクション・デザインにより、写真でしか証明できなかった、そんな労働者たちのコミュニティの存在に永遠の命が吹き込まれ、ロバート・エルスウィットのカメラレンズも、そんな様子を、ワイドスクリーン用の構図と力強いカメラの動きで、しっかりと捉えきっている。

驚くべき言葉と、アバンギャルド交響曲とでも言うべき音楽により作り上げられたムード

 それにしても驚くべきは、この映画の言葉だ。デイ=ルイスは台詞回しのモデルにジョン・ヒューストンを用いたのかもしれない。彼の演じたプレインビューが、ヒューストンが『チャイナタウン』で演じた悪の大物、あのノア・クロスの生まれ変わりだと言っても言い過ぎにはならないだろう。しかしそんな比較もかすんでしまうのが、アンダーソン監督が生み出したセリフ回しの口調である。今日我々が慣れ親しんでいるリズムとはあきらかに違うリズムを持ち、19世紀の舞台劇を思わせる儀礼性、明快さ、精密さを色濃く打ち出している。農業から工業へと急速に姿を変えるアメリカを背景にしながら、恥ということなど微塵も感じさせない、謳い上げるような話しぶり。ユージン・オニールとジョン・ドス・パソスを混ぜたような話し方だと感じさせる。

 そういった要素にさらに加えられているのが、レディオヘッドのジョニー・グリーンウッドによる、時にゆったりと、時に急激に高まり、どこまでも観客を驚かせてくれる、あえてカテゴリーをつけるとすればアバンギャルド交響曲とでも言える劇版音楽である。彼の音楽は長く、どこまでも続くように展開し、スクリーン上で起こっている感情の起伏を無視している場面すらある。しかし、全体としては映画のムードや意味合いをぐっと深め、より謎めいて見せている。大胆不敵で、野心的で、映画音楽の地平線を押し広げるようなスコアは、それだけで作品の重大さを打ち出している。

悪い予感が漂う親子の行方

 ダニエルが足の怪我に苦しむという映画の冒頭から、悪いことが起こる予感はひしひしと伝わり、題名に呼応するように、もっとひどいことが起こることは目に見えている。仕事の上で起こる事故は次々と襲い、特に悲劇的なのは、ダニエルの10歳になった息子H.W.(ディロン・フリーシャーの演技がすばらしい)の耳が聞こえなくなってしまうことだ。それまで父親にべったりだったH.W.も、事故で障害を持ってしまい、その直後、非情にも父ダニエルによって家から放出されてしまう。

 さらに不穏なことが、ダニエルがいいように利用する土地の持ち主サンデー家の息子エリ(ポール・ダノ)との関係で膨らんでいく。若く、カリスマ的な伝道師であるエリは、ダニエルが仕事をする場所の真ん中に、忠実な信者からなる信徒団を集めている。ダニエルは彼らにもうまいことを言うが、その実、エリの活動を明らかに軽視している。

孤独な人間に魅せられたかのような監督とデイ=ルイス

 ドラマの最後の25分は、1927年を舞台に展開される。市民ケーンのようにたった一人、ほぼ狂気の中に暮らすダニエル、そしてエリ、また成長したH.W.に最後の報いが訪れる。視覚的にも、ドラマ的にも、ラストシーンはまさにあっけにとられる。それまでの展開にあってはいるものの、それでも熱心な観客ですら当惑は隠せないだろう。

 同胞から孤立する男を執拗なまでに見つめるこの映画は、冷たく、反社会的な振る舞いに異常なまでに魅せられてしまったことによる作品であると読み取ることもできる。もうひとつの見方は、人間嫌いの報いを深く、人間的に噛み砕いたものだというものだ。いずれにせよ、アンダーソン監督は、ひどく親密に悪意を持った人間に関する考察を繰り広げたわけで、デイ=ルイスにしても同じことが言える。いつものごとく、役にどっぷり浸かってしまったデイ=ルイスは、撮影の合間、本人に戻って休憩を取っているのだろうと想像するのが困難なほどに完全に役に入り込んでいる。ダニエルという男は、自分だけの孤島になるという不自然な状態を作り上げるために邁進しているような男である。デイ=ルイスは、その彼をまったく自分のものにしてしまっている。

女性のいない荒々しい世界

 配役陣は誰も見ても、100年前のアルバムから抜け出してきたような印象を与えてくれる。大きな体躯のわりに、天使のような顔をしたダノ(『リトル・ミス・サンシャイン』)は、礼儀正しく慇懃な印象から、若き神の使いとしての力強い演技に見られるような、口角に泡を飛ばし恍惚とする表情まで幅広い演技力を見せつける。オコナーも、生涯運に見放された男を静かに演じて、目を奪う。惜しむらくは、ダニエルと、キリアン・ハインズが印象深く演じるダニエルの右腕となる男との間に、その関係性を成立させるシーンの展開がひとつ、ふたつあっても良かったのではないかと思わせることだ。それほどキリアンに与えられた時間は短かった。それに比べ、そのほかの役者陣には、少なくともひとつ、輝きを放つことのできるシーンが与えられていた。ダニエルの住む荒々しく、ごつごつした世界では、女性はいないに等しいらしい。

 技術面で言えば、映画は最高の品質に達している。特に、ミキシングが極度に困難であろうと予測される音声の担当がした仕事はずば抜けて印象深い。

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