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演技も作品自体も非常に良く熟考され尽くした芸術作品

デレク・エリー
2008/04/10

(c) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
(c) 2007 Universal Studios. All Rights Reserved.
●製作:ティム・ビーヴァン、エリック・フェルナー、ポール・ウェブスター 製作総指揮:リチャード・アール、ロバート・フォックス、イアン・マキューアン、デブラ・ヘイワード、ライザ・チェイシン 共同製作:ジェーン・フレイザー 監督:ジョー・ライト 脚本:クリストファー・ハンプトン 原作:イアン・マキューアン(「贖罪」)
●出演:ジェームズ・マカヴォイキーラ・ナイトレイ、ロモーラ・ガライ、シアーシャ・ローナン、ヴァネッサ・レッドグレーヴ、ブレンダ・ブレッシン、ジュノ・テンプル、パトリック・ケネディ、ベネディクト・カンバーバッチ、ハリエット・ウォルター、ミシェル・ダンカン、ジーナ・マッキー、ダニエル・メイズ、アルフィー・アレン
●2007年/イギリス/123分/2008年4月12日から日本公開
●配給:東宝東和

 2001年に出版されたイアン・マキューアンの著名な小説をイギリス人監督ジョー・ライトが素晴らしく賢明に映画化した『つぐない』ほど、小説に活き活きと生命を吹き込むと同時に、心が奪われるほど映画の言葉で語られている作品は珍しい。主として1930年代から40年代のイギリスを舞台に、思春期の少女がほとばしらせた悪意が2つの人生を破壊し3つめの人生も台無しにするという物語は、原作が持つ形而上学的な深さと感情的な力の多くをそのまま保っている。また、キーラ・ナイトレイは、ジェームズ・マカヴォイとの共演にも助けられて、ライトが監督した『プライドと偏見』の時と同様、こういった古典的メロドラマに出てくる女性のようなヒロインを、一瞬一瞬、素晴らしく魅力的に演じてみせている。

 ヨーロッパでは9月に、アメリカでは12月にフォーカス・フィーチャーズによって配給されたこの映画は、映画評論家たちからは高い評価を得ており、多くの映画賞でノミネーションを果たしている。去年のヴェネツィア国際映画祭でも人気の高いオープニング作品となっていた。

原作のページからそのまま抜け出したような生き生きとした脚色

 ライトは、デビュー作である『プライドと偏見』では、ジェーン・オースティンの名作を若々しい解釈で比較的自由に映画化したが、『つぐない』ではマキューアンの原作に全く忠実に映画化している。クリストファー・ハンプトンのキビキビとした脚色で、シーン全体や会話が原作のページからそのまま抜け出たようにさえ見えるほどである。

 また、『プライドと偏見』がオースティンの世界に対してより写実的なアプローチをとっていたのに対し、『つぐない』では、英国訛りからダリオ・マリアネッリのロマンティックな音楽、形式ばった時代物映画的なルックスにいたるまで、1930年代~40年代のメロドラマの伝統的演技法やロマンティックなお決まりの表現方法を、意識的に想起させるようにしている。

 これは、容易に茶番劇になり得てしまう賭けのような試みだったが、ライトのアプローチは、キャストとスタッフのおかげで成功を収めた。演技の面では、主演のナイトレイやマカヴォイ、それに若いアイルランド人女優のシアーシャ・ローナンが映画を引っ張っていっており、撮影監督のシーマス・マクガーヴィやプロダクション・デザイナーのサラ・グリーンウッド、衣装デザイナーのジャクリーン・デュランといった専門のスタッフが、研ぎ澄まされた演技のために贅沢に飾り付けられた背景を提供した。

登場人物の関係を一気に素描する冒頭

 原作同様、映画も、舞台は1935年、イギリス南東部の田舎の暑い夏の日の出来事から始まる。13歳のブライオニー・タリス(ローナン)が、自分の家で上演する素人芝居の最後を苦労して書き上げている間、映画は、『プライドと偏見』と全く同じように、一家の住む家の間取りだけではなく、主要登場人物のほとんどを、ものの数分のうちに簡潔に素描する。

 テキパキとした冒頭では、第1日目での度重なる誤解が生じる様子をほとんど一息つく暇も無く見せていく。ブライオニーは、寝室の窓から、彼女の姉で優雅だが退屈しているセシーリア(ナイトレイ)が、ロビー・ターナー(マカヴォイ)のために池から何かを取ってくるために自発的に下着姿になるところを見る。ロビーは、一家の家政婦の息子で、家族同様に育ってきたが、それでも数階級下の身分の差は縮まることは無いままだった。

 自分の姉の不謹慎な振る舞いにショックを受けると同時に、ずっと後で明らかになる、思春期の複雑な感情に揺り動かされて、ブライオニーはロビーを敵視するようになる。それがどのような結果を招くようになるかということにはほとんど気づかずに、彼女は、ロビーが犯した愚かであきれるような過ちを利用して彼に汚名をなすりつけ、彼がやってもいない犯罪に彼を結びつけることによって、彼をセシーリアから引き離す。

演技も作品も熟考され尽くした芸術作品

 ブライオニーの子供じみた意地悪は、長い間、悪影響を残していく。刑務所から出てきたロビーは、今では看護婦としてロンドンで働いているセシーリアを見つけ出す。しかし、それはロビーが第二次大戦でフランスの戦地に赴くまでの束の間の再会だった。1940年には、ロビーは、本国イギリスまで船で搬送されるのを待って、ダンケルクまで退却していく途中の何千もの兵士たちと合流する。一方、今では18歳になったブライオニー(ロモーラ・ガライ)も看護婦として働いており、自分の行動が引き起こした罪をつぐないたいと思っている。この映画の最後の45分間は、つぐないを求め、ロビーとセシーリアに会える機会を探し求めるブライオニーを描き、観ている者の感情を揺り動かすシーンが次から次へと続く。

 あの夏の日の1日を描くのだけに費やされる冒頭の50分は、感情や社交上の作法、隠蔽された階級闘争が満載された波瀾万丈なドラマとして描かれる。そこには、原作の持つ、詳細で難解な要素が、静止した瞬間として散りばめられている。ハンプトンの脚本は、2つの重要な場面で、単純にそのシーンを繰り返すことにより、突然違った観点から見せるという手法を取っている。原作の中で、絶え間なく時間を入り混ぜるているのと同じ効果を映画で出せる、頭のいいやり方だ。

 この作品での演技同様、この作品自体も、非常に良く熟考され尽くした芸術作品である。しかし、時々、登場する技術的な裏技を観れば、観客たちは、この映画の最後の1/3を占めるさらに大きな予想外の展開に対する準備が整えられるはずだ。この裏技は、人物描写の細かさの点ではクロード・ルルーシュの映像に匹敵し、開いた口が塞がらないほど驚愕させられる4分間のステディカム・ショットでとらえられたダンケルク撤退シーンで、神技の領域に達している。

短過ぎると思わせる稀な映画

 この映画で遺憾に思われるのは、ブライオニーが犯した“罪”が真に重大な過ちであり卑劣で悪質なものだったということと、セシーリアを除いた一家が、かつては好意を持っていた部外者に対して結束して敵対したということが、充分に描かれていない点だ。ここでも、また他のシーンでも、観客に一息つかせる時間的な余裕があれば良かったのである。『つぐない』は、長過ぎると思わせるのではなく短過ぎると思わせる稀な映画の一例で、135分、あるいは140分ぐらいがちょうど良い上映時間であっただろう。

 カリスマ的なナイトレイが原作では厳密には助演的なヒロインの役を演じていることを考えると、ブライオニーは、やや少しばかり役不足である。特に、ローナンの素晴らしい演技の後では、ガライの説得力に欠ける冴えない成人のブライオニーは、他の俳優たちとの演技力の差を是正させることができていない。ナイトレイとマカヴォイとの共演シーンでは、ガライは全く存在感を欠いているのである。

 ヴァネッサ・レッドグレーヴ(晩年のブライオニー役)や、ブレンダ・ブレッシン(ロビーの労働者階級の母役)、そしてハリエット・ウォルター(ブライオニーの母役)といったベテラン女優たちは出番の少ない役ながら、確かな演技を見せている。若いキャストの中では、ブライオニーの性に目覚めた従姉を演じるジュノ・テンプルや、ブライオニーの兄の仕事上の友人で自惚れの強いポールを演じるベネディクト・カンバーバッチが、それぞれ印象的である。

スターとしての鋭気を放つナイトレイとマカヴォイ

 しかし、この作品はナイトレイとマカヴォイの映画である。両者とも、スターとしての目覚しい落ち着きと肉体的な鋭気を見せつけている。より控えめなセシーリアを演じるナイトレイが、上流階級の仮面の裏に潜む反抗心を垣間見させるのに対し、マカヴォイは、豊かな感情の幅を披露して全くの新境地を拓いた。アイルランド人俳優のローナン同様、スコットランド人のマカヴォイも、完璧な英国の南部訛りをマスターしている。

 この映画では、フランスのシーンを含む全編がイギリス南部周辺で納得のいくように撮影されている。原作ではサリーが舞台になっているが、シュロプシャーに在る家でも充分役が務まっている。

 ワイドスクリーンで撮影しないという奇妙な選択のせいで、せっかくマクガーヴィが色調に変化を持たせて撮影した(夏のシーンは明るくパステルがかった色調で撮り、戦時中のシーンは硬質で寒々しい色調にしてある)映像を縛ってしまい、ダンケルクの部分では確実にガッカリさせる結果を招いてしまった。もう1つ奇妙なのは、実際には5年後のダンケルクのシーンのところで、「4年後」という字幕が出る点である。

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