●製作:ショーン・ペン、アート・リンソン、ウィリアム・ポーラッド 製作総指揮:デイヴィッド・ブロッカー、ジョン・J・ケリー、フランク・ヒルドブランド 監督:ショーン・ペン 脚色:ショーン・ペン 原作:ジョン・クラカワー(「荒野へ」)
●出演:エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、ジェナ・マローン、キャサリン・キーナー、ヴィンス・ヴォーン、クリステン・スチュワート、ハル・ホルブルック
●2007年/アメリカ/140分/日本公開2008年9月
●配給:スタイルジャム
●出演:エミール・ハーシュ、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート、ジェナ・マローン、キャサリン・キーナー、ヴィンス・ヴォーン、クリステン・スチュワート、ハル・ホルブルック
●2007年/アメリカ/140分/日本公開2008年9月
●配給:スタイルジャム
ジョン・クラカワーのベストセラー小説「荒野へ」は、1992年、「究極の自由」を求めアラスカの荒野に入っていったクリストファー・マキャンドレスの常軌を逸した冒険を記した実話である。クリストファーは恵まれた中産階級出身で、大学を卒業したばかり、そしてこの冒険の最後には荒野で餓死してしまっている。確かに困難ではあるだろうが、映画化の素材として選ばれるのは当然といえる作品で、自己4本目となるショーン・ペン監督作品の中でも最もすばらしい作品となっている。説得力があると同時に野心的でもあり、小説のファンもほぼ満足するのではないかと思われる。より大きな興行成績を狙って早秋の良い時期に公開されるのだが、結果はいかに口コミと批評がうまく積み重なっていくかによる。また、劇場から早いうちに追い出されなければ、若年青年層が繰り返し劇場に訪れ、成績もそれなりに上がっていくだろう。
観客に幾通りもの解釈を持つ余白を与える語り口
脚色、監督を担当したショーン・ペンは、ある意味、60年代後半から70年代前半に流行したスタイルで、反抗する若者の姿を謳いあげた叙情的な映画を作ったと言えるだろう。少なくとも、マキャンドレスが辿った冒険の熱狂的な部分に共感する観客は、そう捉えるであろう。そうでない観客には、エミール・ハーシュ演じる主人公が、学生特有の独善的なところや、借りてきたような理想主義、父と母に対する憤り(その他の誰に対するものでもないだろう)にうっとうしいほど溢れかえっているだけだ、と映ってしまうかもしれない。
監督の主人公に対する視線は、曖昧としている。スローモーションを多用し美しい情景を高揚感たっぷりに歌い上げたせいもあってか、小説に比べ、本作は主人公の動機や心の動きを疑問視する姿勢に欠けるところがあるようにも見える。しかし、原作、映画のどちらも、すばらしい物語を語っていることに変わりはなく、読んだ者、観た者が幾通りもの解釈を持つ余白すら備えている。
監督の主人公に対する視線は、曖昧としている。スローモーションを多用し美しい情景を高揚感たっぷりに歌い上げたせいもあってか、小説に比べ、本作は主人公の動機や心の動きを疑問視する姿勢に欠けるところがあるようにも見える。しかし、原作、映画のどちらも、すばらしい物語を語っていることに変わりはなく、読んだ者、観た者が幾通りもの解釈を持つ余白すら備えている。
中産階級の生活を捨て、孤独の中で自然を目指す若者
1990年、エモリー大学を卒業した22歳のヴァージニア州出身の青年クリストファー・マキャンドレスは、両親(マーシャ・ゲイ・ハーデンとウィリアム・ハート)に対する義務を果たし終えたと考えていた。それまでの人生、両親の期待にほとほと嫌気がさしていた彼は、両親や妹のキャリーン(ジェナ・マローン)にさえ何も告げずアトランタを去ってしまう。彼が残りの学費24000ドル(法科大学院に行くための費用だった)を全てチャリティーに寄付してしまったことはすぐに両親の知るところとなり、乗っていた車もアリゾナの砂漠に乗り捨ててあったことが発覚する。両親は周辺警察に、彼がいなくなったことを通報し、私立探偵も雇い入れる。
しかしクリストファーは頑なに見つかることを拒む。自身「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗り、ひとつ所にとどまらず、自給自足の生活や職を転々としながら、トルストイやソロー、そしてジャック・ロンドンの小説に出てきそうな恋愛的な自由を追い求める。彼の本当の目的は、ユーコンの自然の中でたった一人、完璧な孤独の中に暮らすこと - 「雄大なるアラスカでの冒険」ということで、目指していたものはスリリングであったことは証明されるが、結局のところは悲劇となって幕を閉じてしまう。
しかしクリストファーは頑なに見つかることを拒む。自身「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗り、ひとつ所にとどまらず、自給自足の生活や職を転々としながら、トルストイやソロー、そしてジャック・ロンドンの小説に出てきそうな恋愛的な自由を追い求める。彼の本当の目的は、ユーコンの自然の中でたった一人、完璧な孤独の中に暮らすこと - 「雄大なるアラスカでの冒険」ということで、目指していたものはスリリングであったことは証明されるが、結局のところは悲劇となって幕を閉じてしまう。
放蕩の旅で出会い、別れる人々との友情
監督ペンの用いた語り口は、主人公がたった一人アラスカで暮らす月日の中に、少年期の様子や彼がアラスカにたどり着くまでに過ごした放蕩の様子を短く挟み込むという手法である。放蕩の時期、そしてその様子が強く訴えるのは、行く先々で彼が出会い、別れる人々との友情の重要性である。その中にいるのは、親としての感情を彼に訴える中年のヒッピーのカップル(キャサリーン・キーナーとブライアン・ディエーカー)、サウス・ダコタから来た愛想の良い酔いどれ農夫(ヴィンス・ヴォーン)、南カリフォルニアのカウンターカルチャー共同体に住み、彼に好意を持つ少女、(クリステン・スチュワート)、そして最後に、放蕩をくり返すクリストファーを、決して持つことの出来なかった孫のようにかわいがってくれる、妻を亡くした退役軍人(ハル・ホルブルック)である。
だからといって、楽しげな行程ばかりが描かれているわけではない。ロサンゼルスでは、貨物列車からたたき出されるということも経験している。そして、彼を最終的に待ち受けていたものは、アラスカでの危険な状況である。その中、彼のサバイバル能力が試されるのだが - 結局のところは、無情なる大自然を前に、彼は力尽きてしまうのである。
だからといって、楽しげな行程ばかりが描かれているわけではない。ロサンゼルスでは、貨物列車からたたき出されるということも経験している。そして、彼を最終的に待ち受けていたものは、アラスカでの危険な状況である。その中、彼のサバイバル能力が試されるのだが - 結局のところは、無情なる大自然を前に、彼は力尽きてしまうのである。
作品のスタイルと内容が有機的に結合
小説のほうは、物語を進めていくのに多くの人物の声を借りている。映画の前半、ペンも同じような効果を狙って、いくつかの試みをしている。キャリーンの声によるナレーションや、主人公が大げさに自分を鼓舞している日記の抜書きを読み上げたもの、そしてスクリーン上にもテキストや各章のタイトルをつけるといった具合である(「第三章:男になる」といったもの)。しかし、これも全体的に見れば、うまくまとまっているという印象に終わっている。
同じように、そこかしこに重複過多な部分もあるにはあるが(詩的なモンタージュ描写が多すぎるとか、時に甘やかされすぎた俳優たちの台詞回しが目立つには目立つ)、長尺の作品に関わらず、長すぎるというような感じはない。そしてペンの以前の監督作品(『インディアン・ランナー』、『クロッシング・ガード』、『プレッジ』)をギクシャクさせていた過剰にわざとらしいタッチは、どこかに行方をくらましているように見える。本作品で見せたスタイルと内容は有機的に結合しているように思える。ユーモアや温かみを感じる余白さえも組み込まれている。
“Into the Wild”は、ペン自身も俳優として参加した『シン・レッド・ライン』のテレンス・マリック監督に大きな影響を受けているのであろう。詩的な描写ということで言えば、『シン・レッド・ライン』の優れたレベルまで達していないにしても、少なくとも同監督の『ニュー・ワールド』よりはずっと満足のいくものに仕上がっている。
同じように、そこかしこに重複過多な部分もあるにはあるが(詩的なモンタージュ描写が多すぎるとか、時に甘やかされすぎた俳優たちの台詞回しが目立つには目立つ)、長尺の作品に関わらず、長すぎるというような感じはない。そしてペンの以前の監督作品(『インディアン・ランナー』、『クロッシング・ガード』、『プレッジ』)をギクシャクさせていた過剰にわざとらしいタッチは、どこかに行方をくらましているように見える。本作品で見せたスタイルと内容は有機的に結合しているように思える。ユーモアや温かみを感じる余白さえも組み込まれている。
“Into the Wild”は、ペン自身も俳優として参加した『シン・レッド・ライン』のテレンス・マリック監督に大きな影響を受けているのであろう。詩的な描写ということで言えば、『シン・レッド・ライン』の優れたレベルまで達していないにしても、少なくとも同監督の『ニュー・ワールド』よりはずっと満足のいくものに仕上がっている。
難しい役どころをしっかりこなし、精彩を放つハーシュ
これまでテレビや人のあまり見ていないような映画企画( “The Mudge Boy”や『ロード・オブ・ドッグタウン』)で演技の幅の広さを見せてきたエミール・ハーシュは、本作品でも難しい役どころをしっかりとこなし、精彩を放っている。もし彼の演じるマキャンドレスが少々空っぽに映ってしまっても、それは大人になりかけの少年を描いている上で適切な演技なのであろう。彼のゆるぎない信念にしても、これから年月と経験を重ねて、より適応性のあるものに育っていく類のものなのであろうから。
脇役陣のキーナー、ディエーカー、ヴォーン、そしてホルブルックは記憶に残る人物たちを好演している。ハーデンとハートは、十分な登場時間(それに、十分なセリフも)を与えられていないため、彼らの息子クリストファーが彼らを偽善者と呼んだ判断が性急なものであったのか、それとも正しいものだったのか見極めるのは難しい。スチュワートも、ヒッピーの少女トレイシーを退屈な役柄として演じたのか、それとも単にそうなってしまったのか、これも判然としない。
主人公の実際の足跡を辿るように撮影されたアメリカの土地各所は、エリック・ゴーティエのワイドスクリーンレンズに見事に映え、すばらしい景観を見せてくれる。音楽も、アコースティックでオルタナティブ・ロックの香り豊かなアメリカーナ音楽をオリジナルスコアに取り入れ、背景のすばらしさを際立たせている。エディ・ヴェダーによる新しい曲もうまく溶け込んでいる。
脇役陣のキーナー、ディエーカー、ヴォーン、そしてホルブルックは記憶に残る人物たちを好演している。ハーデンとハートは、十分な登場時間(それに、十分なセリフも)を与えられていないため、彼らの息子クリストファーが彼らを偽善者と呼んだ判断が性急なものであったのか、それとも正しいものだったのか見極めるのは難しい。スチュワートも、ヒッピーの少女トレイシーを退屈な役柄として演じたのか、それとも単にそうなってしまったのか、これも判然としない。
主人公の実際の足跡を辿るように撮影されたアメリカの土地各所は、エリック・ゴーティエのワイドスクリーンレンズに見事に映え、すばらしい景観を見せてくれる。音楽も、アコースティックでオルタナティブ・ロックの香り豊かなアメリカーナ音楽をオリジナルスコアに取り入れ、背景のすばらしさを際立たせている。エディ・ヴェダーによる新しい曲もうまく溶け込んでいる。











































