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●製作:ウィリアム・ホーバーグ、ウォルター・F・パークス、レベッカ・イェルダム、E・ベネット・ウォルシュ 製作総指揮:シドニー・キメル、ローリー・マクドナルド、サム・メンデス、ジェフ・スコール 共同製作総指揮:ブルース・トール 監督:マーク・フォスター 脚色:デイヴィッド・ベニオフ 原作:カーレド・ホッセイニ(「君のためなら千回でも」)
●出演:ハリド・アブダラ、ホマユーン・エルシャディ、ゼキリア・エブラヒミ、アフマド・ハーン・マフムードザダ、ショーン・トーブ、アリ・ダネシュ・バクティアリ、サイード・ダグマウイ
●2007年/アメリカ/129分/2008年2月9日より日本公開
●配給:角川映画、角川エンタテインメント
●出演:ハリド・アブダラ、ホマユーン・エルシャディ、ゼキリア・エブラヒミ、アフマド・ハーン・マフムードザダ、ショーン・トーブ、アリ・ダネシュ・バクティアリ、サイード・ダグマウイ
●2007年/アメリカ/129分/2008年2月9日より日本公開
●配給:角川映画、角川エンタテインメント
祖国アフガニスタンを離れた主人公の青年が、自身、そして彼の父親の罪を償うため帰郷する物語、それが『君のためなら千回でも』である。カーレド・ホッセイニ原作の愛すべきベストセラーをマーク・フォスター監督が丁寧に育て上げ、細部にまでこだわりを持って映画化した本作は、多くの原作ファンの枠を超え、さらに多くの人々の心を捉えることになるであろう。微細な機微を伝える演技と傑出したプロダクションデザインは、国を超え、年代を超えて広がる作品の感情的な力強さと歴史的なうねりを保持しつつ、映像的表現で物語を伝えている。役者たち多くが無名であるということと字幕版での公開であるということが米でのマーケティングの上では難題となるであろうが、逆を言えば、そうあることで、この、胸を打ち、極めて奥深い作品が本物であるという感覚を生み出してもいる。本作は、洞察力のある観客の中からこそ、強力な支持者を得るはずである。
パラマウント・クラシックス・レーベルを通して『君のためなら千回でも』をアメリカで公開するパラマウント・バンテージは、アフガニスタン人の子役アフマド・ハーン・マフムードがレイプされるシーンがあることを理由に公開日を6週間延期した。彼の学校がすでに冬休みに入っている12月14日、この新しい公開日は、彼がこのシーンに出演していることを理由に中傷されてしまうかもしれないという懸念から決定されたものである。
パラマウント・クラシックス・レーベルを通して『君のためなら千回でも』をアメリカで公開するパラマウント・バンテージは、アフガニスタン人の子役アフマド・ハーン・マフムードがレイプされるシーンがあることを理由に公開日を6週間延期した。彼の学校がすでに冬休みに入っている12月14日、この新しい公開日は、彼がこのシーンに出演していることを理由に中傷されてしまうかもしれないという懸念から決定されたものである。
過去の罪をやり直す機会が人には与えられる
デイヴィッド・ベニオフ(『25時』、『トロイ』)の手で手際よく脚色された本作は、登場人物や出来事を簡略化しながらも、原作にある主な重要場面をほぼ全て組み込んでおり、また、ほとんどが原作から直接抜粋されている台詞も、英語とダーリ語の自然なバランスを見いだしている。原作からの変更で最も目立つのは、一人称のナレーションをなくしてしまった点なのだが、そこはしっかりと映像が物語の内容を伝える役割を補っている。
過去にどんなことをしてしまっていても、人はやり直す機会を与えられる。これが本作の中心をなす考え方なのだが、この考え方があってこそ、主人公が卑怯者から勇気ある人物へと生まれ変わる旅に、誰もが心震わせ感情的につながることができるのである。
本作品、ソビエト侵攻前のアフガニスタンにおける主人公の幼少時代に最も長い時間を割いているが、大きく言えば三幕に分けられる。亡命者の居住区を舞台に語られる第二幕はとてもすばらしいものなのだが、原作に比べると与えられている時間はぐっと少ない。第三幕も同じように短縮され、主人公の旅を完結させるため話は12年先まで飛んでいる。
過去にどんなことをしてしまっていても、人はやり直す機会を与えられる。これが本作の中心をなす考え方なのだが、この考え方があってこそ、主人公が卑怯者から勇気ある人物へと生まれ変わる旅に、誰もが心震わせ感情的につながることができるのである。
本作品、ソビエト侵攻前のアフガニスタンにおける主人公の幼少時代に最も長い時間を割いているが、大きく言えば三幕に分けられる。亡命者の居住区を舞台に語られる第二幕はとてもすばらしいものなのだが、原作に比べると与えられている時間はぐっと少ない。第三幕も同じように短縮され、主人公の旅を完結させるため話は12年先まで飛んでいる。
心の底に眠る罪の意識を呼び覚ます一本の電話
物語は2000年、サンフランシスコ、小説家アミール(ハリド・アブダラ)が病床に臥すパキスタン人からの電話で呼び出されるところから始まる。男はアミールの父親の友人であると言い、「まだやり直す道はある」という謎めいた言葉を残す。その言葉は、アミールが長い間解決できないまま心に抱える罪の意識に語りかける。
舞台は1978年、国際的大都市であったアフガニスタンの首都カブールに移る。裕福な家庭に育つ12歳だった頃のアミール(ゼキリア・エブラヒミ)と彼の誠実な友人にして、使用人の息子ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)は、何に気兼ねすることなく大都会を自由に走り回る。しかし、彼らの衣服、住居、使う言葉から、この土地を支配する多数派パシュトゥーン族の豊かさと、少数派のハザラ族の虐げられた暮らしぶりには歴然とした差があることが伺える。
生まれると同時に母親を亡くしたアミールは、繊細な一人息子。感情的に疎遠な父親ババ(ホマユン・エルシャディ『桜桃の味』)の愛情に飢え、ハッサンが父親に褒められるたび嫉妬を感じてしまう。彼は、親身になってくれる家族の友人ラヒム・ハーン(ショーン・トーブ『クラッシュ』)をより身近に感じるようになっていく。
舞台は1978年、国際的大都市であったアフガニスタンの首都カブールに移る。裕福な家庭に育つ12歳だった頃のアミール(ゼキリア・エブラヒミ)と彼の誠実な友人にして、使用人の息子ハッサン(アフマド・ハーン・マフムードザダ)は、何に気兼ねすることなく大都会を自由に走り回る。しかし、彼らの衣服、住居、使う言葉から、この土地を支配する多数派パシュトゥーン族の豊かさと、少数派のハザラ族の虐げられた暮らしぶりには歴然とした差があることが伺える。
生まれると同時に母親を亡くしたアミールは、繊細な一人息子。感情的に疎遠な父親ババ(ホマユン・エルシャディ『桜桃の味』)の愛情に飢え、ハッサンが父親に褒められるたび嫉妬を感じてしまう。彼は、親身になってくれる家族の友人ラヒム・ハーン(ショーン・トーブ『クラッシュ』)をより身近に感じるようになっていく。
その後の人生を後悔と共に生きるきっかけとなった凧あげ大会
カブールで毎年行われる恒例のケンカ凧大会。アミールにとっては、父親ババを自分に振り向かせる絶好のチャンスであった。だが、それは同時に少年にとって、近所の不良たちから手ひどいいじめに遭うハッサン(この場面の描写は、原作のそれほどどぎついものではない)を助けることができないという失態を演じる舞台ともなってしまう。友を救えなかったことを恥だと感じるアミール。その気持ちが、もうひとつの、そしてより明白な裏切りへとつながってしまう。
この恥辱の思いが、その後のアミールを苦しめ続け、00年、タリバン政権に支配されたカブールへの危険な旅へと彼を誘う。70年代の色彩鮮やかな人種と文化の坩堝であったカブールに対し、この場面で描かれる陰鬱で残酷な灰色の世界は、その間に行われた徹底的な破壊行為をまざまざと映し出す。崩れ落ちた建物は手付かずのまま朽ち果て、木も草も生えている様子はない。手足を失った人々が家族を養うために義足を売り、サッカー場では公開処刑が行われる。
クライマックス、カブールでアミールを待ち受けている驚きは、原作でもすでに信じがたいものであったが、映画でもそれは失われていない。むしろ、テンポの速いアクションで驚きはさらに持続する。エピローグで語られていることは、家族のつながりに焦点をおいた本作品に、満足いく結末をもたらしているといえる。
この恥辱の思いが、その後のアミールを苦しめ続け、00年、タリバン政権に支配されたカブールへの危険な旅へと彼を誘う。70年代の色彩鮮やかな人種と文化の坩堝であったカブールに対し、この場面で描かれる陰鬱で残酷な灰色の世界は、その間に行われた徹底的な破壊行為をまざまざと映し出す。崩れ落ちた建物は手付かずのまま朽ち果て、木も草も生えている様子はない。手足を失った人々が家族を養うために義足を売り、サッカー場では公開処刑が行われる。
クライマックス、カブールでアミールを待ち受けている驚きは、原作でもすでに信じがたいものであったが、映画でもそれは失われていない。むしろ、テンポの速いアクションで驚きはさらに持続する。エピローグで語られていることは、家族のつながりに焦点をおいた本作品に、満足いく結末をもたらしているといえる。
複雑な緊張関係と友情を完璧に具現化する子役二人
説得力のあるプロダクションデザインは、全て中東の俳優で固められたキャストの圧倒的な演技ととてもよく調和している。特に本作が初の主演映画となる、成人したアミールを演じたアブダラ(『ユナイテッド93』)が、多面的でありながら共感できる主人公を好演している。ひどくメロドラマ的な状況にあっても、信憑性を失っていない。エルシャディ演じるババは、原作で描かれているほどの雄々しさはないが、役柄の持つ並外れた人柄と肉体的な勇気はしっかりと伝わってくる。トーブは、賢明なカーンを完璧な引き立て役として演じきっている。
注目すべきなのは素人子役のエブラヒミとマフムードサダで、彼らはアミールとハッサンの間にある種族の違い、階級間の緊張、そして何よりも友情が生み出す何ともいえない雰囲気を完璧に具現化している。
アミールの少年時代における人物関係を強調したことによって、アフガニスタンの名誉と誇りといった伝統をさらに深く描き出すアミールの妻ソラヤ(アトッサ・レオーニ)や彼女の両親たちといった登場人物に割く時間は、ほとんどなくなってしまっている。
注目すべきなのは素人子役のエブラヒミとマフムードサダで、彼らはアミールとハッサンの間にある種族の違い、階級間の緊張、そして何よりも友情が生み出す何ともいえない雰囲気を完璧に具現化している。
アミールの少年時代における人物関係を強調したことによって、アフガニスタンの名誉と誇りといった伝統をさらに深く描き出すアミールの妻ソラヤ(アトッサ・レオーニ)や彼女の両親たちといった登場人物に割く時間は、ほとんどなくなってしまっている。
凧の動きが作品のテーマを伝える
撮影が行われたのは、アフガニスタンと国境で接する中国西部の砂漠地帯。中国が他国を描くロケ地となったのは、この映画が初めてのことである。ロベルト・シェイファーがすばらしいワイドスクリーン・ショットで捉えた、空を舞い、急降下と先の読めない動きを繰り返す凧、この姿が本作品のテーマをしっかりと伝えてくれている。
技術クレジットの中で唯一つ残念だったのは、アルベルト・イグレシアスのしつこ過ぎるスコアだけである。
技術クレジットの中で唯一つ残念だったのは、アルベルト・イグレシアスのしつこ過ぎるスコアだけである。


































