●製作:リチャード・N・グラッドスタイン、ジェームス・ガラヴェンテ 製作総指揮:ジョー・ドレイク、ネイサン・カヘイン 共同製作:バーバラ・A・ホール 監督:ザック・ヘルム 脚本:ザック・ヘルム
●出演:ナタリー・ポートマン、ダスティン・ホフマン、ジェイソン・ベイトマン、ザック・ミルズ
●2007年/アメリカ/95分/2月16日(土)より日本公開
●配給:角川映画
●出演:ナタリー・ポートマン、ダスティン・ホフマン、ジェイソン・ベイトマン、ザック・ミルズ
●2007年/アメリカ/95分/2月16日(土)より日本公開
●配給:角川映画
独創性よりも、オリジナルに作ったということが称賛に値する御伽噺
脚本家のザック・ヘルム(『主人公は僕だった』)の監督デビュー作である本作は、チャーミングな瞬間が散りばめられた心優しい子供向けファンタジーだが、結局のところは、その長いタイトルに付けられているほどの驚くべき不思議さは引き出していないし、子供に付き添って観に来る大人たちの心を完全にとらえるまでには至っていない。質の高い家族向けの作品が不足気味であることを考えると、興行的に好成績を挙げるかもしれないが、この “おもちゃ屋”でクリスマスを過ごそうとする観客たちは、ここの品揃えが限られた範囲のものしかなく、託されている夢にも限りがあるということを知らされることになるだろう。したがって、この作品は続編製作を目指す大作としてではなく、特色ある作品として売り込む方が適切である。
意識的におとぎ話的な雰囲気を志向している『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』は、その独創性ゆえではなくてむしろ、小説やおもちゃ、ゲームなどを基にしないオリジナル作品であるというだけで称賛に値する(スリンキーのように、実在するおもちゃもいくつか登場するが、この作品は、使用許可に振り回されているような類の映画ではないのがありがたい)。
意識的におとぎ話的な雰囲気を志向している『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』は、その独創性ゆえではなくてむしろ、小説やおもちゃ、ゲームなどを基にしないオリジナル作品であるというだけで称賛に値する(スリンキーのように、実在するおもちゃもいくつか登場するが、この作品は、使用許可に振り回されているような類の映画ではないのがありがたい)。
243歳のおもちゃ屋店主と、後継者に選ばれた弟子
おとぎ話としての性格を強めるかのように、この映画は、章ごとに分かれていて、少年(『ハリウッドランド』のザック・ミルズ)による“昔々あるところに”的なナレーションが付けられている。
そこで紹介されるのは、不思議なおもちゃ屋の経営者で243歳のマゴリアム氏(ダスティン・ホフマン)。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でクリストファー・ロイドが演じるマッド・サイエンティストのような髪型をしたマゴリアムは、この店を去ることにして、自分の弟子であるマホーニー(ナタリー・ポートマン)に店の責任者としてのバトンを渡そうとする。彼女は、かつて天才ピアニストだったこともあるが、この店を管理することに逃避していたのであった。この店の常連客の中には、物静かで不器用で帽子好きだが、同じ年齢の友達が居ないエリックという少年(ミルズ)もいる。
この風変わりな世界に飛び込んだのは、マゴリアムに、この店の評価額を算定するために雇われた会計士ヘンリー(ジェイソン・ベイトマン)だ。『E.T.』に登場する子供たちの母親のように、ヘンリーは、マゴリアムのペットのシマウマや、茶目っ気たっぷりに勝手に動き出すぬいぐるみたちといった、自分の周囲にある魔法が見えない。または、見えているのにそれを受け入れようとしない。
そこで紹介されるのは、不思議なおもちゃ屋の経営者で243歳のマゴリアム氏(ダスティン・ホフマン)。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でクリストファー・ロイドが演じるマッド・サイエンティストのような髪型をしたマゴリアムは、この店を去ることにして、自分の弟子であるマホーニー(ナタリー・ポートマン)に店の責任者としてのバトンを渡そうとする。彼女は、かつて天才ピアニストだったこともあるが、この店を管理することに逃避していたのであった。この店の常連客の中には、物静かで不器用で帽子好きだが、同じ年齢の友達が居ないエリックという少年(ミルズ)もいる。
この風変わりな世界に飛び込んだのは、マゴリアムに、この店の評価額を算定するために雇われた会計士ヘンリー(ジェイソン・ベイトマン)だ。『E.T.』に登場する子供たちの母親のように、ヘンリーは、マゴリアムのペットのシマウマや、茶目っ気たっぷりに勝手に動き出すぬいぐるみたちといった、自分の周囲にある魔法が見えない。または、見えているのにそれを受け入れようとしない。
たった4人の主要な登場人物が中途半端に描写
おもちゃに生命が吹き込まれるというアイディアは、目新しいものではない。それは、風変わりな人物(例えばウィリー・ウォンカのような)が、生涯築き上げてきた努力の結晶を永続させるために後継者を探す、という設定も同様だ。それにもかかわらず、ヘルムは強い信念を持ってこの素材に取り組んだ。子供の眼を通して、このおもちゃ屋の持つ不思議な魔力を伝えようとしている。やんわりとではあるが、生きていることを称えつつ、死は単に次なる大冒険であるとして受け入れるといった、非常に根本的な問題にふれる心温まる会話を取り混ぜながら。
しかし、この映画は、主要な登場人物たち(たった4人しか居ないのだが)や状況が、やや中途半端にしか描かれていないと思わせるぐらい、もたつく。例えば、マホーニーの管理下では、おもちゃ屋の経営は危機に瀕するという見込みは説得力に欠ける。マゴリアムなしでは頑張り続けられないかもしれないという、マホーニーの自信喪失的な思いや、少しばかり尊大だが寛大な心を持っていることは隠しようがないヘンリーが、完全には描ききれていないのである。
しかし、この映画は、主要な登場人物たち(たった4人しか居ないのだが)や状況が、やや中途半端にしか描かれていないと思わせるぐらい、もたつく。例えば、マホーニーの管理下では、おもちゃ屋の経営は危機に瀕するという見込みは説得力に欠ける。マゴリアムなしでは頑張り続けられないかもしれないという、マホーニーの自信喪失的な思いや、少しばかり尊大だが寛大な心を持っていることは隠しようがないヘンリーが、完全には描ききれていないのである。
無邪気な捨て子のような感じがハマリ役のポートマン
ポートマンは、無邪気な捨て子のような感じがこの役にぴったりである。ホフマンの方は、クリスマスの朝のスクルージ並みの陽気さで、中枢となる役に少なからぬ温かみをもたらしている。しかし、ポール・ウィンチェルの腹話術人形ナックルヘッドからヒントを得たように聞こえる漫画っぽい声は時として苛立たしく思える。さらに、ヘンリーのことを、“会計士(アカウンタント)”と言うよりも“突然変異体(ミュータント)”と言った方が言いやすいからという理由で “ミュータント”と呼ぶ(マホーニーとエリックもその真似をする)などといった滑稽な趣味は、やり過ぎでウンザリさせられる。
擬人化されたおもちゃと、眼を大きく見開いてそれを楽しむ子供たちというとても魅力的な組み合わせが出てくるにもかかわらず、アレクサンドル・デスプラとアーロン・ジグマンによる音楽で軽快に強調されるクライマックス・シークエンスまでは、魔法のような技術上の妙技も出て来ない。
『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』は、観客全員の中に潜む子どもを覚醒させることを恥ずかしげもないほど切に望んでおり、それは応援したくなるような好意的な意図である。しかし最終的には、この映画は、素晴らしく驚くべき場所が存在すると語っていながら、観客にその場所に行ったかのように感じさせることを達成できずに終わっているのである。
擬人化されたおもちゃと、眼を大きく見開いてそれを楽しむ子供たちというとても魅力的な組み合わせが出てくるにもかかわらず、アレクサンドル・デスプラとアーロン・ジグマンによる音楽で軽快に強調されるクライマックス・シークエンスまでは、魔法のような技術上の妙技も出て来ない。
『マゴリアムおじさんの不思議なおもちゃ屋』は、観客全員の中に潜む子どもを覚醒させることを恥ずかしげもないほど切に望んでおり、それは応援したくなるような好意的な意図である。しかし最終的には、この映画は、素晴らしく驚くべき場所が存在すると語っていながら、観客にその場所に行ったかのように感じさせることを達成できずに終わっているのである。











































