
(c)2007 Focus Features.
●監督:ラホス・コルタイ 製作総指揮:スーザン・マイノット、マイケル・カニンガム 原作:スーザン・マイノット 脚本:スーザン・マイノット、マイケル・カニンガム 撮影:ギュラ・パドス 編集:アリソン・C・ジョンソン 美術:キャロライン・ハナニア 音楽:ヤン・A・P・カチュマレク
●出演:クレア・デインズ、トニ・コレット、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー、ナターシャ・リチャードソン、メリル・ストリープ、グレン・クローズ
●2007年/アメリカ、ドイツ/117分/2月23日(土)より日本公開
●配給:ショウゲート
●出演:クレア・デインズ、トニ・コレット、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、パトリック・ウィルソン、ヒュー・ダンシー、ナターシャ・リチャードソン、メリル・ストリープ、グレン・クローズ
●2007年/アメリカ、ドイツ/117分/2月23日(土)より日本公開
●配給:ショウゲート
『いつか眠りにつく前に』は、死の床についている女性の回想と、彼女の娘たちの心を揺り動かすような心配事を、対照的に描く作品である。その手法は、感動的だが少々見え透いている。原作者のスーザン・マイノットが、マイケル・カニンガム(『めぐりあう時間たち』の原作者)と共に、巧みに断片的に描かれたこの小説を自ら脚色した本作は、たくさんのスターをキャストとして迎え、死や後悔、そして、あらゆる世代の女性が持つ独特の障害を熟考する、洗練された作品である。文芸作品を原作としていることや、そうそうたるキャストを揃えていることで、洗練された観客層の興味を惹くだろう。
2005年に、ホロコースト題材にした目の覚めるように美しい“Fatless (Sorstalansag)”で監督デビューを果たしたハンガリー出身の撮影監督ラホス・コルタイは、第2作として、より上品で高級志向な作品を手がけることになった。文学界の重鎮であるマイノットとカニンガムが脚本・製作総指揮を担当し、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、やグレン・クロース、アイリーン・アトキンズといった女優が出演する。
2005年に、ホロコースト題材にした目の覚めるように美しい“Fatless (Sorstalansag)”で監督デビューを果たしたハンガリー出身の撮影監督ラホス・コルタイは、第2作として、より上品で高級志向な作品を手がけることになった。文学界の重鎮であるマイノットとカニンガムが脚本・製作総指揮を担当し、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、やグレン・クロース、アイリーン・アトキンズといった女優が出演する。
死の床につく母親と、そばで見守る娘たちのそれぞれの想い
レッドグレイヴが演じるのは、年老いたアン・ロード。死にゆく彼女の許には、娘のコンスタンス(ナターシャ・リチャードソン)とニナ(トニ・コレット)が、付き添っている。熱にうかされてとりとめの無いことを口走るアンが謎めいた言葉「ハリスと私がバディを殺した」とつぶやくと、ストーリーは、『マディソン郡の橋』の先例に倣い、1950年代の物語の鍵となる瞬間へとフラッシュバックする。その時、歌手を目指す若き日のアン・グラント(クレア・デインズ)は、友人のライラ・ウィッテンボーン(メイミー・ガマー)の結婚式のためにニューヨークからロードアイランドを訪れていた。
ウィッテンボーン家の避暑地に在る別荘に滞在中、アンは温厚で非常に魅力的なドクター・ハリス・アーデン(パトリック・ウィルソン)に夢中になる。ライラも長年の友人であるアーデンに恋心を抱いていたが、愛らしくも自分に自信が無い彼女は、立派ではあるが愛していない男性と結婚しようとしていた。ライラの不良っぽい弟、バディ(ヒュー・ダンシー)もアーデンに魅了されている一人だった。小説家志望のバディは、陽気で志を高くしている状態と、大酒を飲んで鬱になっている状態との間を行ったり来たりしていた。
アンが結婚前に神経質になっているライラの助けになると同時に、ハリスへの思慕についてじっくり考えている一方で、バディはますます衝動的に大酒をくらい自己嫌悪にさいなまされていくようになる。そして、アンのその後の人生を決定づける瞬間となる、悲劇的事件が起こってしまった。もはや天真爛漫でなくなった彼女は、無分別な結婚を繰り返し(そのような結婚についてはわずかに描写があるのみ)、2人の娘をもうけるが、歌手としてのキャリアは順調にはいかない。
ウィッテンボーン家の避暑地に在る別荘に滞在中、アンは温厚で非常に魅力的なドクター・ハリス・アーデン(パトリック・ウィルソン)に夢中になる。ライラも長年の友人であるアーデンに恋心を抱いていたが、愛らしくも自分に自信が無い彼女は、立派ではあるが愛していない男性と結婚しようとしていた。ライラの不良っぽい弟、バディ(ヒュー・ダンシー)もアーデンに魅了されている一人だった。小説家志望のバディは、陽気で志を高くしている状態と、大酒を飲んで鬱になっている状態との間を行ったり来たりしていた。
アンが結婚前に神経質になっているライラの助けになると同時に、ハリスへの思慕についてじっくり考えている一方で、バディはますます衝動的に大酒をくらい自己嫌悪にさいなまされていくようになる。そして、アンのその後の人生を決定づける瞬間となる、悲劇的事件が起こってしまった。もはや天真爛漫でなくなった彼女は、無分別な結婚を繰り返し(そのような結婚についてはわずかに描写があるのみ)、2人の娘をもうけるが、歌手としてのキャリアは順調にはいかない。
たった一晩の出来事を凝縮——意欲的ではあるが、曖昧に
作品中には、あまりもたくさんの重要な出来事をたった一晩に詰め込み過ぎているため、やや物語が凝縮され過ぎてしまっていると思う観客も、当然のことながら出てくるだろう。意欲的ではあるが、言葉が省略され過ぎて曖昧になってしまっているこの作品のさらに差し迫った問題は、コルタイと編集のアリソン・C・ジョンソンが、ストーリーを語るリズムをうまく確立できなかったことである。ページの上では、きめ細かく、かつ自由に過去と現在との間を行ったり来たりして時制を変えていても、それが映画化されると、原作の持つ優美さがかなり損なわれてしまう。この映画は、幾つかの点でスティーヴン・ダルドリーの『めぐりあう時間たち』を思い起こさせるが、過去と未来の、多くを語るようなつながりは、真の意味での新しい発見をさせてくれるというよりは、計算ずくであるような印象を与える(『いつか眠りにつく前に』には臨終の床につく主要人物が居るにもかかわらず、全体的には『めぐりあう時間たち』よりも痛ましい映画ではないのである)。
この作品は、母親が娘に遺す感情的遺産について何か意義深いことを語ろうとしている。その意図は、幸せな家庭生活を築いているコンスタンスと、ダンサーとして挫折したキャリアが母親の果たせなかった夢を反映し、少しばかりみじめな気持ちになっている独身のニーナとのやり取りに汲み取れる。リチャードソンと、とりわけコレットによって上手く演じられてはいるが、彼女たちの性格づけと姉妹としての確執は、この映画の数世代に渡るテーマを強化するのにあまりにも都合良く作りあげられているように思えてしまうのである。
この作品は、母親が娘に遺す感情的遺産について何か意義深いことを語ろうとしている。その意図は、幸せな家庭生活を築いているコンスタンスと、ダンサーとして挫折したキャリアが母親の果たせなかった夢を反映し、少しばかりみじめな気持ちになっている独身のニーナとのやり取りに汲み取れる。リチャードソンと、とりわけコレットによって上手く演じられてはいるが、彼女たちの性格づけと姉妹としての確執は、この映画の数世代に渡るテーマを強化するのにあまりにも都合良く作りあげられているように思えてしまうのである。
2組の実の母娘が競演
それでも、1つ1つの場面は上手く作られている。これは、あり得そうもないほどの実力派キャストを揃えられたことに負うところが大きい。デインズは若き日のレッドグレイヴというふうには全く見えないが、彼女は若く自由奔放なアンを愛嬌良く快活に演じている。そんなアンをひそかに軽蔑しているライラの母を演じているグレン・クロースは、出番が少ないながらも忘れがたい演技を披露する。ガマーの聡明だがビクビクしているライラは、この映画に潜在する上流階級の堅苦しい礼儀に対する批判をしっかり支える存在だ。一方、ダンシーは、自己破壊的な、カミングアウトしていないゲイという難しい役を演じて鮮やかな印象を残している。アトキンスは、アンの看護婦役に生真面目な暖かさを添えている。
この映画では実生活での母娘が2組出演している。弱々しくもうろくしてしまったかと思うと次の瞬間にはすっかり目覚めて頭も冴えているという状態の演技を見せるレッドグレイヴとリチャードソンは、彼女たち自身の関係をスクリーン上で演じている。秘密兵器であるかのように配役された、ガマーの母であるストリープは、映画の終りの方で、歳をとったライラという、カメオを膨らませた程度の出番しかないが、やりがいのある役を演じている。
コルタイは、撮影監督の視点を採り込んで叙情的な映像を見せる。レッドグレイヴ演じるアンがボート用の桟橋に寄りかかっているところや、寝室が突然、きらめく蛾でいっぱいになるといったシーンは、夢のような映像である。ギュラ・パドス(“Fateless”)による撮影は、色彩豊かで明るい50年代の映像と、色調が暗い現在の映像とで、熟慮されたコントラストを成している。絵のように美しいロケーションや、プロダクション・デザイナー、キャロライン・ハナニアの細部に至るまで50年代を再現した仕事、ヤン・A・P・カチュマレクのこくのある音楽といった、他のスタッフたちの仕事は新鮮さに満ちている。
この映画では実生活での母娘が2組出演している。弱々しくもうろくしてしまったかと思うと次の瞬間にはすっかり目覚めて頭も冴えているという状態の演技を見せるレッドグレイヴとリチャードソンは、彼女たち自身の関係をスクリーン上で演じている。秘密兵器であるかのように配役された、ガマーの母であるストリープは、映画の終りの方で、歳をとったライラという、カメオを膨らませた程度の出番しかないが、やりがいのある役を演じている。
コルタイは、撮影監督の視点を採り込んで叙情的な映像を見せる。レッドグレイヴ演じるアンがボート用の桟橋に寄りかかっているところや、寝室が突然、きらめく蛾でいっぱいになるといったシーンは、夢のような映像である。ギュラ・パドス(“Fateless”)による撮影は、色彩豊かで明るい50年代の映像と、色調が暗い現在の映像とで、熟慮されたコントラストを成している。絵のように美しいロケーションや、プロダクション・デザイナー、キャロライン・ハナニアの細部に至るまで50年代を再現した仕事、ヤン・A・P・カチュマレクのこくのある音楽といった、他のスタッフたちの仕事は新鮮さに満ちている。
































